[コメント] 都会のアリス(1974/独)
映画を見終った人むけのレビューです。
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研究者だった頃、論文を執筆するためアメリカで資料収集をしなければならず、宿泊代を少しでも安くすませるため郊外のモーテルに連泊したことがある。たいてい資料の置いてある大学図書館や公文書館は夕方には閉まるので、夜は早めにモーテルに戻っていた。本当は昼間に集めてきた資料に目を通していればよいのだが、昼間に貧弱な英語力を酷使して必死の収集作業をしていたため疲れきってしまい、とてもそんなことをする余裕はない。かといってまだ眠くはないのだが、繁華街は遠いし、何よりも遊ぶ金も無い、仕方がないのでテレビをつける。ニュースを観ると余計頭が痛くなるので、考えずに見ることのできるMTVにチャンネルを合わせる。ブリトニー・スピアーズが映っている、彼女が料理をしている、ダンスの練習をしている、CMの撮影の合間に弁当を食べている…。空疎な画面を観ながら、頭がだんだんと溶けていく。何もすることがない。MTVにはブリトニー・スピアーズが映っている。
このとき、退屈さを味わっていること以上に、そんな退屈を甘受するしかない自分がいかに空っぽな人間であるかを思い知らされることがつらく、抜けることのできない迷宮に迷い込んだような絶望的な気分に襲われる。単に未熟なだけの私と重ね合わせても仕方ないのかもしれないが、本作における主人公の男は私よりもずっと賢明で分別のある人間に映る。いろいろな物事の表裏を知り尽くしているからこそ、下手に動くこともままならず、この男は郊外のモーテルで空っぽな自己を持てあましている。このまま故国に帰っても、またこの同じ絶望感が襲ってくるだけで何も変わりはしない。どこにいたって、郊外のモーテルと変わらない。
男が少女に付き添ったのは、最低限のヒューマニズムからにすぎなかったのではないだろうか。ただその最低限のヒューマニズムがこの旅を産み出し、男が絶望から這い出る道を見出したのだとしたら、ぎりぎりのところで人間として踏みとどまっていれば何とかなるかもしれないという希望が持てる。動けば風が吹く、それこそがロードムービーの本質なのかもしれない。『バッファロー'66』でも拝借されていたが、二人で証明写真で記念撮影をする場面など、尖った空気が何とも心地よい。
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