[コメント] 笑の大学(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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昭和15年、警視庁保安課検閲係、官庁は決裁を取るので、役所が台本チェックして直ちに許可不許可の印押しているのはおかしいが、リアルにやってはスピード感がなくなるから省略するのだろう。役所は劇団を呼び出し一部削除の付箋を貼って了解するなら許可の印を押して脚本を返却、しなければ不許可印。この再現美術が面白い。
「検閲などいらない」と役所広司は云う。何だと思わせるがもっと極端と判明する。「一切合切禁止してしまえばいいんだ。国民が一丸となってこの難局を乗り切らねばならないときに、何が喜劇ですか。浮かれている場合か」台本の束を拳でぶん殴る。当初は劇団潰しのため「ジュリオとロミエット」なる脚本は紀元二千六百年に西洋人主役とは何事か全部駄目、人物と設定を日本に替えろ等の注文を小出しに出す。この辺りは面白い。役所の喜劇が愉しめる。
しかし、これまで笑ったことがなかったと語った役所が、どんどん喜劇好きになり、「もっと私を愉しませてほしい」と語り、出征する稲垣に「帰ってこい。お国のためになんて口にするな」と激励するに至るドラマは実に楽天的。こんな気楽な警察官僚ばかりなら世の中暮らしやすいだろうが、しょせん果たせぬ理想という気がする。笑わない人間は徹頭徹尾笑わないものだ。笑わせてみせるという軟体的な抵抗を稲垣の造形から見つけるのは難しいし、提示されるホンにそんな破壊力は見出せない。
本作に検閲官を笑い死にさせてやろうという攻撃性は皆無で、稲垣吾郎は受け身に徹しており、劇は役所の気分次第でどうにでも振れる状況が続く。それだけはリアルなものだ。エノケンの座付作家の実話と聞いたことがあるが確認できない。どうなのだろう。稲垣の書き直しの抵抗は意図的なのだが、そのように正直に中盤に告白して役所の激怒を受ける。終盤の召集と開き直りだけが作家としての稲垣の解放だったというイロニーは、残念ながら響いてこなかった。
演出は俗でしばしば間が悪く好まないが、美術は喜劇だからこんなものだろう。「笑の劇団」の建物は弱小とは思えぬ立派なもので、デザインは浅草の映画館「電気館」を模している。追加指示「お国のため」を「お国ちゃんのため」に直すのは予想が当たって少し嬉しかった。あまり笑えないが。
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