[コメント] 北の零年(2004/日)
明治維新を、藩を守護する立場から描く映画は少ない。
たまたま同じ時期に山田洋二監督の『隠し剣鬼の爪』も同時期の映画であるが、この時期同じ時代の映画が上映されるのは偶然なのだろうか。
これまでの幕末映画は、徳川慶喜であったり西郷隆盛であったり、特に坂本竜馬であったりするわけだが、いずれもメジャーすぎて新しさに欠ける。
幕末とは?と聞かれて明確に回答できる者は少ない。この映画では、歴史的にはまったくマイナーな北海道開拓という要素を取り入れている点が新鮮であった。
映像は吉永小百合さんを中心とした男性たちのそれぞれの立場が描かれる。
前時代的な家父長制を前面に押し出す内容で”古い”という印象も残るだろう。
江戸時代の家父長制をよしとするものではないが、ここに出てくる吉永小百合さん演ずる志乃という女性は泰然自若として動かない。夫そして夫の勤める藩の動きに徹底して従おうとする。その夫に裏切られようとも動かないのだから凄い。
また、このドラマには頻繁な裏切り行為が続出する。志乃の夫小松原英明もそうだが、小松原の友人であった馬宮伝蔵(柳葉敏郎)の妻加代(石田ゆり子)も然りである。
一見、唯一裏切り者ではない北海道民であるアシリカ(豊川悦司)でさえ、最後追われる身分であることが明らかとなり、いずれもが裏切り者である。
ここが味噌なのだ。とまり時代が移り変わる中で、土地を変え人を変え生きてゆく者と、その土地に根付きその地に馴染もうとする者の生き様が如実に比較される映画なのである。
これはめまぐるしく変わる現代へのテーマでもある。時代の過激なスピードとそれに追いつこうとする者。外部のことはまったく気にしないで生きる者。この両者にどれだけの人間的な価値の違いがあるかわ、当事者にわかるものではないのだ。
この映画の志乃は自分に与えられた試練を逃げずに完結しようとしている。そして吉永小百合さんが映画にこだわることを重ねて、好感が持てる映画となった。
全体の構成として、前半の重厚な展開に比べ、後半からラストにかけての不自然な展開、わざとらしいラストの戦いなどが苦しい。
行定監督は決しておのずからテーマを提供する監督ではないようだ。後半にぶれが生じてしまったのが惜しい。
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