[コメント] 俺は善人だ(1935/米)
気の弱い善人ジョーンズの“困り顔”と、脱獄殺人犯マニオンの“仏頂面”の二役をこなすエドワード・G・ロビンソンのカエルみたいな顔がまさに本作の表の「顔」だが、さすがにそれだけでは飽きてしまうところを90分もたせるジョン・フードの裏ワザ有り。
この映画の裏ワザは「動」と「静」のシーンの規則正しい繰り返し。ファーストシーンは大勢の社員が忙しく働く朝のオフィスの「動」。次はゆっくりとジョーンズが起床するのどかな寝室の「静」。そして、遅刻に気づき社員たちの喧騒のなかオフィスに慌てて駆け込む「動」と、それに対比される同僚女性社員(ジーン・アーサー)の余裕の出社から“そっくりさん騒動”の「動」の強調。時間は一気に進み昼休みのレストランで“脱獄犯”に気づいた客(ドナルド・ミーク)がこっそり通報する「静」。ついに警察出動の「動」の大騒動。冒頭から最後までこの「動」と「静」のシーンの繰り返しが律儀に守られる。
中盤以降、よく言えば話は善人ジョーンズと脱獄犯マニオンの二人のサスペンスに焦点が絞られ、悪く言えば他の登場人物には目くばせなしの一本調子になるのだが、この「動」と「静」のリズムが推進力となって、ちょっとバランスの悪い展開をもろともせず一気に見せ切ってしまう。表の顔のコメディとサスペンスとロマンスを、コンテクストとしてのアクションで支えるジョン・フードの文字通りの裏ワザ。確か『駅馬車』も「動」と「静」の繰り返しだったような気がする。
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