[コメント] ロボッツ(2005/米)
ふと浦沢直樹の『プルートゥ』を連想してしまった。即ち遡れば手塚治虫の『鉄腕アトム』である。『鉄腕アトム』の世界では、ロボットが人工知能と呼ばれる機能によって感情を持つのである。そしてロボット(あるいは人間に対しても)独自の経験から感情を抱く。人間と同じ生活、人間と同じ環境のロボットを置くことによって、人間あるいはそれ以上の感情を持つことになるのである。
手塚の作品は明らかに子供向けであって、ここで言うような大袈裟な話ではない。あくまでもファンタジーとしてのロボットドラマである。
しかし浦沢直樹がアレンジした『プルートゥ』は緻密だ。そこには戦争という影を垣間見ることになる。戦争で破壊しあうロボットの功績に対し、残された優秀なロボットがダーゲットになる話である。そしてここでも新型のロボットと旧型のロボットというエピソードが綴られる。旧型のロボットには表情もない。ただ悲しみを同じ表情で示すしかない。涙も流さない。
さてこの『ロボッツ』を見て思ったことは、これらの前提に対し、人間が全く関与していないということである。映画を見ていてずっと思っていたことだ。
かつて(ロボットではないが)例えばおもちゃの世界であれば『トイ・ストーリー』や魚の世界であれば『ファインディング・ニモ』もそうだが、ピクサーの作品には擬人化されたキャラクターの大きな対抗条件として必ず人間が存在する。そして彼らは人間のルールの隙間をぬって自分達の存在感と感動を共有していたのである。
しかし『ロボッツ』にはそれがない。この世界は全く人間とは隔絶された、あくまでもロボットだけの世界なのである。
ロボットだけの世界なのに、話としては人間の抱える現実と変わらない。
時代の変化が激しく、ここで言われる旧式アナログなロボットは排除され、新型のロボットだけが生き残る。そしてその裏で糸をひいているのが、ロボットを廃棄する工場だったりする。これらの世界には新しいものはない。
考えてみればロボットは間違いなく人間が作ったものだ。人間が作ったものが成長し、人間を脅かす、というエピソードを、この映画は超越してしまっている。
何しろロボットがロボットの赤ちゃんを製造し育てるのである。
キャラも話も大変良くできている。旧式のロボットが排除される危機を乗り越えるという話もそれなりに面白い。
しかしこの世界がこの映画に逆の意味で限界を作ってしまっているようにも思える。
ロボットが自分の意志で作る世界そのものにハードルがないから、見ていて緊張することがない。非常に幸せな映画である。
物足りなさもこの辺から来るものだろう。
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