[コメント] 未来惑星ザルドス(1974/米)
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SF映画としては一種のカルト作として知られるこの作品。確かに物語はかなり破綻してるし、予算不足からSFギミックもかなり少な目(なんと100万ドルで作ってしまったのだとか)、さらにコネリーが全編赤褌姿だという、まるで羞恥プレイのような作品だけに、見た目から物語までまさしく“カルト”と呼ばれるだけのことはあるのだが、それでも70年代のSFに親しんだ人間にとって、本作は本当に喜ばしい作品である。
本作の物語は単純なようでいて結構ややこしい。主人公ゼッドを獣人と呼ばれる被支配者階級に置き、階級闘争のような話で展開していったと思ったら、今度はゼッドは支配者階級によりペットのようにされてちょっと喜んでたり、自分の同胞である獣人よりもむしろ支配者階級に共感を覚えてみたり、実は支配者階級の方が滅ぼされることを望んでいたという事実を知ってみたり。と、100分ちょっとの中によくここまで詰め込んだと思えるくらいの内容がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。あまりにも展開が早く、脈絡が取れないため、置いていかれると何が何だか分からなくなってしまう。
小説と映画は違う。それは情報の質がまるで異なるため、小説で書かれたことを限りある映画でやろうとすると無理が生じるのだが、それを全く考えずに、映画で小説的な難解さを勢いで作ってしまおうというのが本作のコンセプト。内容は極めて難解で、観る人によって色々解釈が変わってくるのだが、まさしくそれが70年代SFの最大の特徴だった。行きすぎた科学に対する警鐘と、自然体で生きることの重要さ。そして人間の内面にこそ真理がある。という、まさしくヒッピー文化が引っ張っていった疑似科学がここには目一杯詰め込まれてる。それを何の衒いもなく、更にアクション大作にするつもりもなく淡々と作り上げてしまったのが本作。
私も最初はこれ単なるアクション作だろうと思って観始めたら、中盤からの展開の凄さに目を離せなくなってしまった。無茶苦茶人を食ったオチも秀逸。
でも本作で何より楽しいのは、ブアマン監督の「俺はこんなのを作りたいんだ!」という自己主張がそこらかしこに見えることだと思う。まさしくこの作品はブアマンという人物の“顔”が見える作品なのだ。この自己主張っぷりが痺れる。
一方ではツッコミ所も無茶苦茶多い作品でもある。表題である“ザルドス”とは、前半部分に出てきた空飛ぶでっかい顔のことだが、これが具体的に何であるのか全く語られることなく、活躍もしない。わざわざラストでザルドスの謎解きまでやっているのだが、その意味も物語上の必然性が全く無い。特に全編ふんどし姿のコネリーの姿は強烈なインパクトあり。特にコネリーはかなり毛深いので、上半身裸だと胸毛にばかり目が行ってしまい、笑わせようとしているのやら、気持ち悪わせたがってるのやら、判断付かない個性を見せてくれる。
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