[コメント] タッチ(2005/日)
大手映画会社が役者を前面に押し出すために作られた映画の限界を示したものだ。
古くは角川映画がそうであったように、東宝のシンデレラが主役になって作られた映画なわけだから、こういうキャスティングになることはやむをえない。そういう意味で犬童一心監督は最善の努力をしていると思うし、映画としてもそれなりの成果をもたらしていると思う。
しかし、やはり原作があだち充であるがゆえに、原作に近づくのか、原作を全く度外視して、犬童一心としての映画にするのかが曖昧になって、少々もったいない映画となってしまった。
あだち充の作品に共通する”日常”は、そのキャラからもたらされる暖かさとかほのぼのした世界である。対象が野球であれ恋愛であれ、親子の関係であれ、全てに共通するほのぼの感が彼の作品の中心にある。これは彼の生み出すキャラによって作られるものであって、話の中身はこのほのぼの感を飛び越えることがない。悲しい場面であっても苦しい場面であっても、キャラは常にペースを崩さず、あだち充ワールドを守り続ける。悲壮感がまるでないのだ。
この物語は”野球”という、ある意味悲劇的で精神論を求められるような世界にあだち充が挑戦したものであって、彼にとって野球そのものがこの話の中心にはなっていないはずだ。むしろ双子の兄弟と一人の高校生の”ほのぼのした”恋愛を描いているに過ぎず、野球はそのテイストとして使われているに過ぎないのだ。
しかし映画はあだち充の世界からは全く遠いところに離れてしまった。そして原作を無視して全く別の世界に離れるわけでもなかった。その中途半端さが残る映画になってしまったような気がする。
これは大手映画会社が役者主導のキャスティング行い、そこに犬童監督が乗ってしまったことによる失敗であって、やむを得ない面はある。しかし、見る側からすると中庸にまとめた映画にしかなっていないため、どうしても思い入れがなくなってします。
長澤まさみの演技や、個々の俳優の如才ない演技は悪くないと思うが、才能ある映画監督が製作サイドに押し切られて、思うような映画にならなかった残念な作品になってしまったようだ。
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