[コメント] 私の頭の中の消しゴム(2004/韓国)
映画を見終った人むけのレビューです。
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何度も涙するチョルスを見ていて辛くなった。
逃げる事やあきらめることは誰からも望まれていない孤高のヒーローとして存在しつづけなければならないチョルス。ラストまで見ずとも彼の出す答えはもう必然的に一つしかないに決まっていた。
誰だって幸せに生きる道を選びたい。余分なものは排除して自分の世界だけで生きて行く。誰でもやっていることだ。そして彼は母親までも見捨てたことにより、人によって自分の人生を左右されることの無い道を選んだ。涙するのが嫌だ。人に期待して裏切られたりするのはつらい。ならば全て人のせいにするのは止めよう。人の事など気にするのは止めよう。
女性ならばチョルスにこうして欲しいのだろうなと思いながら見ていた。
「愛している」 相手が言葉に出さずとも当然わかっている。だけど言葉に出して欲しいのが女性。 男は出したくない。言葉にすれば弱くなってしまう気がするから。いや、言葉に対する責任に立ち向かう弱さや怖さを己が一番知っているから。そうなると男の涙は止まらなくなるものなのだ。
男と女が逆の立場ならどうなったのかと考えて見ていた。 違う話になっていた筈だ。 男は記憶が戻ったからと記念に手紙を書けるような精神的余裕は持ち合わせていないから、二度と逢えない。女性もそこまで探す女性はいない。頭で解決してしまうのが女性。頭で解決できず行動に移さずにいられないのが男性。
これが友達ならどうかと見ていた。
考えるのが苦痛になる。
そして「男として」だけではなく人間の強さってなんのかと考えた。
人は誰だって、頭の中に都合のいい消しゴムがあったらいいって思ってるはず。 傷みを感じる部分だけ消してしまえば良いから。 そうすれば誰も憎むことも無い。 痛みに耐えることも無い。 でもそれじゃ人間じゃないんだな。 痛みに耐える強さで立ち向かって行かなければダメなんだな。
ちょっと自信無いな。
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