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[コメント] 白痴(1951/日)

終始呆けたような顔をした亀田が「僕…僕…」と呟く周囲で人々がドタバタしているという、根本の所ではどこか没交渉なドラマの構図がやはり退屈ではある。だがそれは、然るべき感情の流れが描かれてあった筈の場面が切られたせいかも知れない。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







つまり、短く編集されたせいで、却って長く感じさせるフィルムになってしまったのでは、と。だが、この亀田とは同じコインの表と裏、磁石の両極のように引き合う妙子との間でスパークする情念の火花の素晴らしさよ。

そうした意味でやはりこれは、原節子の映画と言うべきだろう。刻一刻と絶えず微妙に変化している彼女の表情そのものが、ただそれだけで極上のサスペンスであり、スリラーであり、メロドラマであり、その他諸々の劇的な出来事である。孝子(千石規子)や綾子(久我美子)との息詰まる切り返しショットの対決に於ける緊張度は凄い。また、そのふてぶてしさの内に繊弱な魂を必死で覆い隠そうとしているその佇まいも凄い。

赤間と亀田がお守りを交換し合った後での、扉の窓から覗く赤間のギラギラとした眼差しや、亀田が包丁店で、夥しく並んだ包丁を見つめるショットでの、その刃の白い輝き、更には、亀田が、自らが目にした少年死刑囚の様子を語る、その台詞の迫力など、尋常ではない殺気の漲った場面の数々は、まさに黒澤パワー全開。

仮装したスキーヤーたちが松明を持って滑走する場面は、ハロウィン風の様式と、ナマハゲ的な和風の習俗が無理やり合体させられたような異様な雰囲気が漂っていて、滑稽さと迫力が入り混じる。赤影みたいな怪しいマスクを着けて現れ、一言告げてサッといなくなる原節子の唐突さや、一夜明けた後の悪魔の雪像の哀愁など、妙なふうに記憶に残る、印象的なシーンではある。

映画そのものの評価については、やはりいつか完全版を目にする機会を信じて待ちたい気分。現行版では、短く編集させた製作者サイドが、何だかとても勿体無い事をしたのではないかという疑念が拭えない。正直、鑑賞中は「怠い」「疲れる」「長い」と感じはしたのだけど、それは、場面場面の重々しさもさる事ながら、その重々しさが物語上に自然な形で位置付けられていないような違和感を伴っていたせいでもある。

ところで、原作は未読だけど、一度死刑にされかけて、直前で免れる、という体験や、癲癇の発作などは、原作者ドストエフスキーの実体験。おそらく彼はこの物語を通して、自らの人生とイエス・キリストの生き様とを、重ねてみたかったのだろう。最後の、無残に死んだという亀田の末路や、「この世の中には勿体無いくらいの人だった」という評価は、そのままイエスに直結しているようにも思える。別に僕は信者ではないんですが。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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