[コメント] 牡蠣の王女(1919/独)
同時にクエーカーの前に10人以上の口述筆記をする女性たちが座っているのを見せ、クエーカーと女性たちを正面ショットで切り返す。続くクエーカーの娘−オッシー・オスヴァルダの登場シーンが凄い。これはもう世界映画史上最強の破壊力と云いたくなるぐらいの屋内破壊シーンだ。さらに、この後、オッシーが結婚することになる2人の男性、プリンス・ヌッキ−ハリー・リートケとその友人ジョゼフ−ユリウス・ファルケンシュタインが、彼らの部屋を片付けるシーンの暴れっぷりも、オッシーの登場シーンには及ばないとは云え、こゝもかなりの破壊力だ。こういう先に出した場面と対になる(先の場面を思い起こさせる)重層的な構成にも感心する。
矢張り(云うまでもないかも知れないが)、映画において最も重要なのはスペクタクルなのだ。全編、クエーカーの邸宅内を舞台にした、物凄い数の執事やメイド、召使いたち、あるいは客たちのモブの物量とその運動の描写には瞠目し続ける。主要人物は上で俳優名まで記載した4人だけだ(強いて追加するなら、マッチメイカーのマックス・クロネルトとオッシの花嫁修業場面の女性教師−マルガレータ・クーファーがいるが、この2人も端役に過ぎない)。これらの人物が大勢のモブの中でも決して負けない強い造型でプロットを画面を牽引する見せ方にも唸らされる。中でもオッシの活躍が楽しい。沢山のメイドにケアさせる入浴シーンもいいが、人形の赤ちゃんを背後に放り投げ、女性教師にパウダーを投げつける場面なんかも特筆したい。
また、アイリスを途中で止めたような黒枠を使って画面を一部マスキングし、被写体を強調する演出は、洋の東西を問わずサイレント時代に頻出する特徴だが、本作におけるこの技巧の洗練も書き留めておきたい。本作でも、人物の対話対面場面では、ルビッチらしい切り返しの繋ぎがたくさん出て来るけれど、その多くが、このアイリス・マスクの併用だ。例えば、プリンス・ヌッキとジョゼフの部屋で、マッチメイカーと対面する場面でこれが使われていたり(こゝはイマジナリーラインを無視した繋ぎ)、ジョゼフが召使たちに笑われる場面での丸枠の中のジョゼフといった部分、あるいはプリンス・ヌッキが初めて邸宅に訪れた場面での、オッシが対面するショットも黒い丸枠の中。終盤のオッシとプリンス・ヌッキとのキスシーンもこのアイリス・マスクの画面という次第だ。
さらにこの黒い丸枠以上の効果を見せるマスキング画面がある。それは現在の映画でも使い続けられている、ドアの鍵穴からの窃視を表現する鍵穴イメージのマスキングだ。特に本作では、オッシの寝室のドアにおけるこの演出の活用によって、登場人物(覗く側)と共に、観客にも驚きを与える画面が反復される(ラストシーンでもこれが使われている)。あともう一つ、屋内の異なる空間を仕切る境界線、例えば本作なら、寝室の並ぶ通路からロビー側を撮った画面で、上部に半円アーチ型の入り口を持った空間が現れる。これって、本作に限らずルビッチの初期作には頻出すると思うが、この意匠による画面の限定効果も、ルビッチが狙ってやっているのではないかと私は思う。
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