[コメント] 狼の時刻(1968/スウェーデン)
羽目を外した強迫観念のオンパレードで釣場の少年の件が白眉。フェリーニやヴィスコンティの影響色濃く興味深い。収束が退屈なのは心理劇の緻密を放棄したツケだろう。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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リヴ・ウルマンに結婚を断られたベルイマンが監督しているという内情複雑な作品らしい(ゴダールとアンナ・カリーナのようだ。そう云えば本作、冒頭の仕掛けなどゴダール調でもある)。どれも素晴らしいマックス・フォン・シドーの幻覚はベルイマンの日常風景がダイレクトに反映されて描きやすかった(もちろん才能あってのことだ)のに対し、居場所のないリブ・ウルマンの造形はベルイマンの願望が複雑化して噴出していて捉えどころがない。同じ幻覚を見るという収束も同様に取ってつけたようで、振られた男の願望としてならよおく理解できるが、できたからと云って作品が面白くなる訳ではない。
こんなオチなどなければむしろスッキリとした奇譚に仕上がっただろうに、この辺の拘りが映像作家たる所以なのだろう。映像はステディで大好き。一分間測ってみたり天井歩いてみたり、本当の幻覚ってもっと地味なものだろうに、さすがにカッとんでいる。話好きには上記のようにキツい出来だが、全然許す。
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