[コメント] ミュンヘン(2005/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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テロの犠牲者名前が淡々と読み上げられてゆく中、首謀者の顔写真がカットバックされた瞬間に確信した。復讐劇がクライマックスを迎えぬ果たされぬものになると知りながら、撮らずにはいられなかったのだろうと。報復を批判することは容易いけれど、それができるのは事件が遠い場所で起きた<フィクション>だからであって、そのような批判は当事者の心の内を決して代弁するものではない。だからといって報復が成功するわけでもない。カタルシスが否定され抑制されたものでありながら、しかし映像作品として成立する程度に確かに演出された"準"ノンフィクション。それは当事者の立場にほんの一歩でも近づこうとする試みなのではないだろうか。映画という装置を借りて初めて死が<フィクション>でなくなったとき、それが報われぬとしりながらも、人は復讐せずにいられるのか。この作品からはそんな問いが聴こえてくる。
報復の先には救いがない、といえばない。でもアヴナーは、国家という観念に埋没せず、家族のもとへ帰ることができた。これは救いといえば救いだ。それができたのは偏に、彼の奥さん、アイレト・ゾラー演じるダフナの支えだったと思う。彼女は軍の仕事を心情としては拒絶しながらも、妊娠中という大事な時期にもかかわらず、ことを荒立たせずに結局は彼を行かせたし、出立のときも帰還後も体を許し、彼がうわのそらで明らかに様子がおかしくても、慰みものになることを甘んじて受け入れた。彼女の理解と包容がなければ、彼はどうなっていたことだろうか。ユダヤ系の役の俳優人がたくさんいる中、しかし自分はこのアイレト・ゾラーにスピルバーグを見た。やむにやまれず、ある形でコトを起こしたとしても、どこかで見切りをつけてそれが終わったら戻って来い。そういうことが言いたかったのかな、と。
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