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[コメント] リトル・ランナー(2004/カナダ)

素晴らしい! 最後の盛り上がりは、まさにボストンマラソンのコースのようだ! マラソン愛にあふれる作品です。 ありがとう!
スパルタのキツネ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ご存知の方も多いと思いますが、一応市民ランナーとしてボストンマラソンの特徴を語りますと、その100年以上も続く世界最古の市民マラソンとしての歴史とともに、スタートからゴールまでほとんどが上り坂という世界で最もハードなコースとしても有名です。ボストンマラソンが日本人に馴染みがあるのは、嘗て瀬古さんをはじめ日本人ランナーがボストンで勝っているからです。終盤の「心臓破りの丘」走ってみたいな〜。

そう、ボストンマラソンは多くのランナーにとって参加できるだけでも光栄な大会なのです。ただ、誰でも参加できる訳ではありません。ランナーの持ちタイムに厳しい制限があるのです(私の年齢層35〜40では、3時間15分の持ちタイムが必要)。 全ての意味において、ボストンは日本人に最もメジャーなホノルルマラソンと好対照の大会と言えます。自分もいつかスタートラインに立ちたいものです。

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さて、本作ですが、何気に中々マラソンモードにならない(これが終盤の半端でない盛り上がりにつながったわけですが・・・)。エッチなことに目が無い何処にでもいる悪さを犯す思春期の少年。その少年を取り巻くのがキリスト教原理主義の校長、そしてニーチェ主義者の神父。気の置けない友達。つれないガールフレンド。そしてやさしい母。そういった描写がしばらく続く。

そんな中で最愛の母が意識不明に陥る。病院で母の意識を戻せるのは「奇跡」だけだと聞いたラルフはボストンで「奇跡」を起こそうと決意する。ところが「奇跡」について「奇跡を起こせるのは神だけだ」と校長に真っ向から否定される。そんな少年に助け舟を出したのが、嘗てはオリンピック選手だった神父だった。

<<ここでちょっと脱線>>

「キリスト教もアナーキズム(無政府主義)も元は同じだ」とのニーチェの言葉をコーチが引用してたように、本作の背景はキリスト教よりもニーチェ哲学のほうに重きを置いていたようですが、この言葉の意味を私的に解釈しますと、キリスト教は教会(権威)が自由を抑制する体制であって、アナーキズムは権力を否定した自由な社会の実現を意味する。すなわち、性善説、性悪説のどちらをベースにするかの違いであって、同じ神を信じていることには変わりは無い、と言うことだろう。

コーチがニーチェを持ち出したのは、性悪説にたつ校長のラルフ抑え込みに対する牽制の意図と、自分のランナーの経験(おそらく失敗)から得られた教訓を感じますが、それをラルフが「じゃぁ僕は(キリスト教徒とアナーキストの)両方になる」と言ったのに、コーチが「そういう意味ではないんだよ」と苦笑交じりに応じたシーンは、ラルフの若々しさをコミカルに演出してて良かったですね。実はこのラルフの一言が結構重要で、作品としてそう言う仰々しい論争から一線を画す意図もあったようで、実際それからは本格的なマラソンモードに突入していったのでした。 厳しいトレーニングを続けるランナーは哲学を必要とするところがあるので、ニーチェを持ってくるあたりは本作の監督の好みでしょうか。

<<脱線終わり>>

ボストンのレースを前にして、「奇跡」に必要な「純真さ」が掴めないでいるラルフ。そんなラルフにコーチは懺悔を提案し、レース直前に懺悔を行う。レース着で懺悔を行うラルフの姿のピュアなことと言ったらどうでしょう! マラソンを前にした感覚が蘇って来ます。 更に、「神に祈る」事がどうしてもできない、と言うラルフにコーチは「32kmを過ぎれば誰でも自然に神に祈るようになるよ」と答える。 全てがリアルな体験であり、それはマラソンランナーであれば誰しも(キリスト教徒でなくとも)通じる感覚なのです。

そしてスタート。とにかく、心と身体が一体となって駆け上がっていく、こんな素晴らしい「走る」描写は滅多に観られません。 それを遠くで応援する人たち。厳しい校長の孤独な気持ちも感動とともに伝わってくる。 そして「ハレルヤ」の曲にあわせたラスト。全力を出し切って敗れ、屈み込むラルフ。その場の余韻。素晴らしい選曲。 私の涙は止まらなかった。

奇跡が起きたラスト。病院で意識を取り戻した母はラルフの頑張りを一瞬で悟りますが、少年はそんな奇跡を知る由もなく、コーチと次の大会に向けた会話をし、ジョギングのペースアップをしたところで終わります。 奇跡が未来につながるこんなラストも最高です。

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ああ、どうしてこうマラソン映画の秀作のラストは切ないのだろうか? 自分が考えるに、それは監督はじめスタッフがマラソンを良く知っていて、愛しているからなんだと思う。この感覚って、マラソンをゴールしたときに感じるものに似ているんですよね。そのときは次のことなんて考えられず、ただ真っ白で・・・ それが(引退するまで)繰り返される。 本作の監督はデトロイトマラソンで勝ったことがあるランナーだそうで、なるほどと頷ける。

余談ですが、挿入曲の「ハレルヤ」。頭の片隅に、しかも割りと記憶に新しいところにこびり付いていたので、何だったかな〜と思っていたら、『ベルリン、僕らの革命』のエンディング曲だということに思い当たってすっきりした。 多分、本作と両方観ている方は同じように気になると思いますので書いときます。「ベルリン」よりも本作のほうが格段に曲がマッチしてますね。

もう一つ余談ですが、本作は劇場に公式マラソンのゼッケンも持っていくと割引(200円)があったんですよねー。ちなみに「公式」マラソンの定義は、距離が公式に計測されていて、そこで出した記録が公認される大会なんだと思うのだけど、ほとんどの市民マラソンはそんな大それたものではないので、なぜ敢えて「公式」とするのか? 劇場の人がどこまでこだわるのか? 全世界の公式マラソンのリストが用意されているのか? だとしたらいっぱいゼッケン持っていって、これは?これは?とか言って呆れさせちゃうぞ!などというしょうも無い好奇心はあったのですが、そんなことにこだわる映画や劇場サービスではないですよね。 その確認をし忘れたことが悔やまれます(笑)

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)Yasu[*]

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