[コメント] 時をかける少女(2006/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
一昔前の映画や芸能界には非常に大量の「少女」ものが横行していた。それはもちろん市場需要ってのもあったのだけど何より「俺はこういう美少女と青春を謳歌したかったんだっ」っていうナイスミドルな方が多かったのが主因だったように思う。ですよね、大林監督。
それはつまりはオヤジたちの世代にそういう美少女の絶対数が少なかったからでありめったに食えなかったメロンと美少女はやがて一種の信仰として祭り上げられた。権力を手中にした途端にやりたかった事をドバっとやるってのはどこでもよくある話で今で言えば30代のナイスミドルの方々がガンダム関連商品を乱発するのに近い。
この映画はその観点で言えば「こういう美少女と恋をしたかった!」という世代の監督が作った美少女物に少年時代感化されて「昔の甘く切ない美少女モノをやってみたい」というものになっている。決して女の子が好きなんじゃない。「美少女もの作品」が好きなんだって事だ。
おかげで過去のそういった類にあった欠点「女の子に特殊な環境や能力を付けて適当に話を膨らませる」や「撮りたいのは少女で相方の男はどんでもいいっす」みたいな空気はそこには微塵も無く(昔は千昭や功介みたいなかっちょええのが出ていたら抗議がきた、鶴見でいいんだよっ鶴見で)それでいて長所であった「人に初めて恋する乙女心のせつなさ」や「淡い青春の思い出」(本来の美少女ものではこれらですら膨らませる企画の一部であったが)などは往年の名作クラスと同等かそれ以上の出来の良さだ。
さて、過去の美少女ものと対比させるなら総合力ではこちらが圧倒していると思う、総合力ではね。ただし監督が愛していたのはしつこいようだが「美少女もの」というジャンルに対してであって美少女の「一瞬の奇跡」をフィルムに収める、という親父、いやナイスミドルのロマンではなかった。もしそれ(一瞬の奇跡)がこの作品にあったならば恐らく真琴はその圧倒的人気で芸能界デビューを果たしザ・ベストテンで久米宏にセクハラまがいの質問をされつつ黒柳がどうでもいいという態度を取りつつ下手な歌を一生懸命歌うという事態になっただろう。プリンも新発売だし妹もついでにデビューすんだけどいまいちパッとせず、みたいな。
---------------
にしてもこの話の構成の仕方は絶妙だと思う。勘のいい人は結構最初の方で美術館の準備中の絵の前に立っているのは千昭だと分かる。腕の数字も残り回数だと気がつく。そういった微妙なネタバレらしきものを混ぜながら功介とボランティア彼女の踏み切り事故という頂点を見事に演出する。あそこは何度見ても鳥肌が立つわ。そして千昭の最後のセリフ。正直な話、千昭の未来ってそんなに近い未来とは思えないんだけど(川が地上を流れていないとかね)あの「待っているから」という言葉はどういうこった。
あと千昭の時代にあの絵が焼失してない、あったのはこの一時代という意味は1970年代風解釈で言えば近未来で(核による)世界大戦でもあって焼失するという意味にも取れる。ここら辺はNHKの少年ドラマシリーズ的雰囲気を残しててちょっと胸が熱くなる。真琴は千昭の告白を彼自身に教えなかったけど千昭も真琴にこの後世界がどうなるのか教えてないんだよね。そんなわけで裏を読んでみれば真琴が千昭に言いたかった事と同じ位千昭も彼女や功介に教えたかった事があったのかもしれない、そんな風に感じた2007年の夏でした。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。