[コメント] 太陽(2005/露=伊=仏=スイス)
空襲シーンとエンドロールの背景。そこにソクーロフ的なるものの特徴が先鋭化している。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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『エルミタージュ幻想』で幻滅させられて以来、久しぶりにソクーロフ作品を見たが、私が彼に求めているものが戻ってきていた。
『エルミタージュ幻想』ではテクノロジーの魅力に囚われすぎて、自らを見失っていた感があったが、本作では、テクノロジーをうまく利用する本来の姿に戻っている。エンドロールでは、個人的映画史上最高の『精神の声』第一部の再現があり、空襲シーンでは、かつて見たこともないようなイマジネーションの発露があった。前者では、FIXでの静かな写真的光景の中にある微かな動きにこそ映画的強度を顕示し、後者では、逆に、カメラと対象との激しい運動によって、映画というメディウムの特性をいかんなく発揮した。そして、共にCGを駆使することによって初めて再現され得たのである。(さらに、作品にしばしば現れる闇と水は、ソクーロフ、さらにはロシア映画において象徴的なものである。)
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