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[コメント] グエムル 漢江の怪物(2006/韓国)

一緒に鑑賞していた妻が言った。「ここって笑うところ?」俺が答える。「たぶん・・」
sawa:38

そりゃぁ怪物の登場シーンと河川敷で暴れっぷりには痺れた。日本の特撮ファンが夢見ていたのはこういうリアルな画だったんだよなぁ。ビルディングの高層化に合わせて怪獣の身長がどんどん大きくなっていた日本の特撮映画。逃げる私と迫る怪獣とのギャップがあまりにもあり過ぎる為、私ひとりぐらいなら怪獣に見つからない、っていうか小さ過ぎる私の事なんか怪獣は追っかけてこないだろうと思ってしまっていた安堵感。つまり日本の怪獣映画は怖くないんです。もし私が死ぬとしても渋谷の町並みの中でガレキの下敷きになるか、一気に踏み潰されるか、つまり「死ぬ」恐怖はあるけれど怪獣に対する怖さは感じなかったのです。(唯一怖かったのはガイラぐらいか?)

やはり怪物はアノ程度の大きさが良い。日本では『大魔人』のサイズまででしょう。大魔人も左右を見渡し獲物を探しながら歩いてくる・・・絶対に逃げおおせない怖さがあったんです。本作の怪物もこれでいくとジャストサイズ、なおかつ追っかけてくるなんて痺れました。それと餌をすぐに食べずに保管しておく習性なんてのもとってもリアルでナイスです。ウチで飼ってるハムスターみたいでこういうアイデアが新鮮です。

ってココまでが本作で褒め称えたいこと。っで次は本作のとっても嫌いなところ。

一緒に鑑賞していた妻が言った。「ここって笑うところ?」俺が答える。「たぶん・・」

このどっちつかずのスタンスがとても違和感ありまくりだった。コメディなのかリアルなサスペンスなのか?どっちでも構わないんだけど、あまりにもバランスが悪過ぎじゃぁないですか?

トンマッコルへようこそ』でもファンタジーとリアルなパートが同居していたが、それは希望と現実を描き分ける為に必要な演出だった。だが本作のコメディモードと怪物が暴れるシリアスなリアルモードの同居にどんな意味があっただろうか?科学者やスーパーヒーローが活躍しない一般人の映画を撮る為にあえてシリアスさを軽くしたのは良く判る。だがどうしてコメディタッチなのかの説明がつかないんだ。しかも徹底的なダメ家族を抽出し、その家族再生の姿まで描きたかったのも判る。だけどどうしてソレがコメディタッチじゃなきゃならないんだ?

いやいや、コメディでもいいんだが、要はバランスと程度の問題なんです。この家族の馬鹿さ加減は日本人からすると一般常識をはるかに超えた馬鹿さであり、韓国人特有のオーバーリアクションだったりする訳で、鑑賞していてイライラばかりが募っていくんです。

途中から早く怪物のパートにならないかなぁなんて事ばかり考えていた私でした。もうこの映画には疲れました。笑っていいんだか、怖がっていいんだか・・・疲れます。

(評価:★3)

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