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[コメント] エコール(2004/ベルギー=仏=英=日)

幼女ポルノと呼ぶには余りにも冷徹な視点は、やはり女性監督。暗闇に映える鮮烈なリボンの色など、映像美こそ官能的。まるでカフカに書かせた少女小説の如き、奇妙な世界。少女たちの、己がエロスに無自覚な在り様は、硬い殻に柔肌を包ませた幼虫のよう。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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冒頭の、棺桶から裸で現れる新入りの少女は、そうした幼虫、サナギとしての少女像を、のっけから如実に示している。いつ果てるとも知れぬ「学校」のカリキュラムは、まるでカフカの“城”や“審判”の、意味も目的も分からぬ、不条理な堂々巡りのようだ。“L'école(エコール=学校)”って仏語タイトルからしてカフカ的な気がしなくもない。少女が何の説明も無く「学校」に入れられる冒頭にしても、初っ端で唐突に逮捕されたり虫に変身していたりする、カフカのテイストに似ているような。

最後、少女が青年と交わす視線が、彼女の「女性」への目覚めを暗示するが、そこに、ボートで「学校」から逃げ出そうとした少女が呑み込まれた水や、映画の最初の映像である、泡立つ水の映像が回帰する。それはまるで、いつまでも正体を露わにしない大人たちに囲まれて生きる少女たちの、無垢である事を求められつつ、無垢ならざる眼差しを受ける運命の循環、カゴの中の鳥としての運命を示唆しているかのよう。カメラが天に昇っていく解放性と、水に落ちていく落下のイメージが同時に提示される、二律背反なラストが残す余韻は深い。

スタッフロールの、古典映画風のノスタルジックなデザイン(映画の冒頭に全て流すのも古典映画に倣ったのだろう)もまた、本来は過ぎ去って消える、儚い筈の少女時代へ自閉していく作品世界を演出する一要素になっている。この映画が描く世界そのものが、少女を美しいまま蝶の標本のように閉じ込める棺桶なのだ。

その、蝶の標本を作っていた教師が、少女たちに進化論を説きながら、彼女らの進化=成長が遥か彼方にあるものとして、つまり彼女ら自身には現実化しない、或いは関わりが無いものとして語ってみせるのも、面白い。貴女たちにも成長が約束されてはいるけれど、今「少女」として存在価値を与えられている貴女たちとは、別世界の話よ、とでも言っているかのよう。バレエの先生が、「青虫のままで終わる事もあるけれど、貴女たちは蝶になって」と、成長を善い事として話していたのと併せて見ると、何とも皮肉。

つまり美しい対象としてだけ、その存在を認められ、標本化、対象(オブジェ)化、人形化、死体化されるのが、この「学校」の少女たちなのだ。そう言えば、川で一人の少女が溺死した際も、バレエの先生は涙を流していたが、標本の教師は冷静に宥めていたように記憶している。標本のシーンでも、この二人は対立的に描かれていた。脚が不自由な標本教師は、彼女自身が、自由を奪われた蝶なのかも知れない。実際、彼女について「学校から逃げ出そうとして脚を折られた」と少女たちも噂していたではないか。彼女は、少女たちへの接し方や考え方も「学校」の枠から一歩も出ない。バレエか何かのスカウトに拾われて、「学校」から出て行くことを夢見る少女に対しても、「貴女は選ばれない」と冷たく言い放つ。

少女たちの少女性を描きつつも、少女性というモノを、どこかアイロニカルに描いており、単なる幼児性愛者向けフィルムとは言い難いものを感じさせる。

(評価:★4)

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