[コメント] 鉄コン筋クリート(2006/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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いい意味で非常に観念的な作品である。それゆえに、下手な解釈をやめて単純に 作品づくりのうまさについて言及したほうが無難なのかもしれないが、しかし そうすると、作品の本質からそむけることになりやしまいか? かなりしんどいがやはりある程度作品に「向き合う」必要があろう。
まず、シロが善でクロが悪などといった単純な理解は難しいと思う。 シロは無垢ではあるが、悪行をしない人間でも残酷なことを一切しない人間でも ない。しかしあくまでもその悪行は「宝町のルール」であり、「クロのルール」 にのっとったものだ。だが彼は同時に自分の描く理想郷の住人でもあり、そして、それらのルールがいずれ崩壊していくものであることを理解している。また理想郷の 住人として彼は「強い」。(じっちゃの言葉)
クロは「宝町のルール」の住人というよりその支配者たろうとしている人間である。 だがその宝町は崩壊しつつあり、今ではシロを守ることを生きがいにせざるを得ない人間である。だから彼は「弱い」。
この二人が手を携えて生きる空間(=宝町)は崩壊していく。ブラックマジックと ホワイトマジックとが存在する社会が文明の発達のなかで崩壊していくように。 ますます理想郷(宝町とは違う)の住人たろうとするシロにクロは反発を隠せない。クロはシロを生きがいにするほど愛し、かつおそらくシロを憎んでもいる。
シロがいなくなったあと、生きがいをなくしたクロのまえにあらわれるのが、「イタチ」である。もちろん、これはクロ本人の声である。 また「本当の闇」の声でもあり、「真実」の声でもある。 イタチの誘いと「向き合う」ところの描写は作品全体でもっとも激烈な場面だ。 結局、クロは誘いを拒むのだが、イタチは「おれは消え去らず、いつまでもお前の中に 住む」と言い残し、クロの手に傷を残す。クロはその傷を残した手で、再び シロの手を握ることになる。
クロにとって、形をなした「イタチ」と向かいあうことは彼が生きていく上で必然的なことだったのではないだろうか? もちろんそれは彼にとって最大の危機でもあった。 おそらくイタチに身をゆだねることは完全な孤独を意味していたのであろう。 しかし自分のなかにいる「イタチ」と正面からむかいあうことで、 彼は「強さ」を手に入れたのではないか?
おそらく、もう二人は以前の二人ではないのだ。クロにとって、シロはもはや 単純なカウンターパートではない。自分とはまったくことなった 「完全な他者」なのである。だが「完全な他者」として自覚することで、クロは シロを再び愛することができたのである。
これは成長の物語とも、悲痛な自我の記録とも、あるいは文明社会への寓話とも 読み取れるかもしれない。しかし最終的な意味付けは不可能だ。すぐれた 作品がそうであるように。確かなことは、私たちにその意味を 問いかけるよう、「向き合う」ことをうながす作品であろうということだ。
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