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[コメント] 僕は妹に恋をする(2006/日)

本来直面すべき問題に意地でも踏み込まないという徹底した近親相姦“雰囲気”映画。
Myurakz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 近親相姦は一般的に反社会的とされる行為だ。その是非をここで論じるつもりはないけど、少なくとも通常は忌み嫌われる行動で、かつ生物学的にも問題があるとされる行いだ。もしそれでも尚自分の双子の兄弟を愛したいという人がいたなら、それはもう想像もつかないような沢山の障害や障壁にぶつかることになると思う。

 ところが今作にはそれがほぼ一切出てこない。親は怪しむだけ。友人は「そんなの変だよ」の一言だけ。あとは頼(松本潤)が勝手に悩んでほどほどに哀しい結論を出す。「親にバレて半狂乱」とか「男児だけ親戚に預けられる」とか「学校で“双子ドンブリ”とかいう陰口を叩かれる」といったような“キツいシーン”は全くといっていいほど登場しない。

 10代男子の性衝動に関しても同じことが言える。あのねぇ、ぶっちゃけ男子高校生が反倫理的彼女なんていう燃えたぎる存在を前にして、教室でチュウだけで済むはずがないんだよ!夜だって「頼、もう寝た?」なんていう余裕の会話が為されるはずもないんだ!そこでブレーキが掛からない男子高校生だからこそ、この物語は幕を切って落とされたに違いないんだ!

 要はこの映画、掘り下げようとすればどこまでも掘り下げられるテーマを看板にしながら、「キツいシーン」や「ナマいシーン」を完璧なまでに排除して作られているんだ。そしてそれはもちろん意図的に行われていることで、何故ならこの映画が「イケない恋に恋い焦がれているちょっと背伸びしたい純情乙女」向けに作られているからなんだ。

 彼女たちはこの映画で松本潤との禁じられた恋に胸を昂らせて家路につき、家で畳に寝転ぶ自分の兄(または弟)のジャガイモ面を見て深いため息をつくんだろう。そのため息は大人の階段だ。だったら映画でまでキツいところに踏み込む必要もない。要は近親相姦について思い悩んだり凹んだりする映画じゃなくて、ウットリするための映画なんだよな。凹むのは家で現実に直面してからで充分だ。35歳のおっさんである僕はそのウットリ対象層に入れてもらっていないけれど、その目的意識の明確さと徹底具合は何なら褒めてもいいとさえ思う。僕は35歳のオッサンだからウットリしないけど。

 ただ、そんな中で一点だけ「踏み込んだ」シーンがあった。頼の友人矢野(平岡祐太)の、頼に対する秘めた恋心が暗示されるシーンがそれだ。頼と郁の恋愛がユルくフワフワと高まれば高まるほど、矢野の立ち位置と心情は混沌の中に深く沈み込んでいく。郁に告白をした理由、イルカのストラップの意味、ここには言葉に語られない物語がいくつも織り込まれている。

 もちろんこれはやおい層もターゲットに取り込まんとする原作の計算高さ故の展開だと思うんだけど、この2時間の枠の中ではそこだけがやけに生を内包してしまっており、何ならそっちを軸にしてしまった方が面白かったんじゃないかとさえ思えるほどに闇が深い。近親相姦を応援するために自らの恋を親友にさえ告げられないゲイの青年。幾重にも絡み合った葛藤だ。何たることだ。

 結局ここで鑑賞のテンションが上がってしまい、勢いラストのおんぶジャンケンにグッと来てしまったことはあまり人に言えない。ていうか言いたくない。結局僕の中にも純情乙女が眠っていたってことなのか。そうかも知れないわね。ちょっとお花摘みに行ってきます。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)ユリノキマリ づん[*] しぇりぃ チャオチャオ

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