[コメント] めぐみ 引き裂かれた家族の30年(2006/米)
私は拉致被害者とほぼ同世代である。蓮池、地村両夫妻、そして曽我さんが飛行機のタラップを降りる帰国シーンを見るたびに涙が溢れてくる。彼らが拉致された1970年代の後半から80年代初頭、彼らが何を考え、どんな青春を過ごしていたのか私には容易に想像ができる。その後、結婚し、子供をもうけ、仕事と子育てに奔走したであろう30数年間、私もまた同じ状況と時間を過ごしたのだ。
「いや違う。お前は日本にいたではないか。彼らは北朝鮮という未知の国にいたのだ。彼らの苦悩がお前に分かるはずなどない」と人は言うだろう。確かにそうかもしれない。ただ、置かれた境遇がどんなに違っていたとしても、伴侶を得て子供をさずかり、与えられれた職務に取り組み、ときに喜び、ときに悩んで過ごしてきた30数年間は、人が生きていくための日常という時間であり、それは彼らにも私にも等しく流れすぎた時間だったに違いない。
30年という時間はあまりに長すぎる。私が、もし彼らと同じ立場に置かれていたとしたら、はたして毎日のように帰国を待ち焦がれて30年間という時を過ごしただろうか。もし、私が、妻と子供を連れてあのタラップを降りなければならない立場であったとしたら・・・・。彼らの笑顔と強ばりが入り混じった表情の裏にあったかもしれない、言葉で表すことのできない、30年という月日の流れの中で複雑にからまり合った心情を思うと涙が溢れるのだ。
私が、拉致事件に関して知りたいことがあるとしたら、そんな彼らの心の中なのだ。何故なら、この事件の被害者は言うまでもなく日本という国家ではなく、彼らを奪われた家族はもとより、国家に身をもてあぞばれた彼ら個人であるはずだからだ。
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