[コメント] クィーン(2006/英=仏=伊)
当然乍ら私の考察は我が国の皇室に及ぶ。☆3.2点。
この映画がどこまで真実かは不明だが、こういう映画が製作可能であること、観賞可能であること、高い評価を受けたこと、は事実である。作品は「国民のプリンセス」ならぬ「国民の女王」であろうとするエリザベス2世を肯定的に描いている。そこには保守思想の美徳の体現という意味合いもある。観賞中はついその流れに沿って同情的に観てしまったが、逆に王室の存在意義を正面から疑ってみたら全然違うハナシとなる(その場合は英国といえども映画は大波乱を起こしただろう)。
翻って我が国を思いやると、こんな映画は存在し得ない。この現代にも存在する菊のタブーという意味でもそうだが、更に重要なのは、皇室の存在意義(存在基盤)や皇族自身の意識が英国のそれと全く異なる(と考えられる)からだ。日本の皇室はかれら自身が天孫降臨神話の呪縛から逃れられていないので、その目は国民ではなく常に皇祖のほうばかり見ざるを得ない。そこに「国民の天皇」の存在する余地はないのだ。英国王室は国民へ語りかけようと努力し続けることが求められるが、日本の皇室ではそれは象徴天皇制支持を表明する為の煙幕に過ぎず、本当にそれを行なえば(現状の意識が変わらない限り)皇室を脅かすことになるのである。
この映画が英国王室の内部に入った物語だったからこそ尚更、どうにも我が国の皇室の事が気になってしまうのである。
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