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[コメント] 神童(2006/日)

成海璃子が設定年齢より大人びすぎていて、多くのシーンが奇怪な印象に。中学生なのに、大学受験を控えたワオ(松山ケンイチ)と同年代に見え、二人の関係性が悪い意味で曖昧。速さと正確さばかり競う演奏シーンや、甘ったるいテーマ曲にも辟易。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







成海が同級生らと比べてあまりにも年上に見え、浮きまくっているので、一体何歳くらいの設定なのかと思っていたら、リヒテンシュタインに告げる年齢は「十三歳」。一応調べてみたら、当時の成海の実年齢と大して違わないようだが、視覚的に浮きまくっているのはやはり問題だろう。同級生らの見た目年齢で調整するとか何かして然るべきだ。うた(成海璃子)がヌイグルミに執着する幼児性や、代役としての演奏シーンで「椅子が低い」と訴え楽譜を尻に敷く場面が際立たせる、場違いな幼さも、大きい子が演じているという嘘くささばかりが気になる。うたに恋しているらしい同級生との、図書室での会話、「私の耳って変?」、「お前の存在自体が変だよ」も、成海の見た目年齢が実際にその存在自体を変にしている事実ばかりを感じさせ、うたが、ピアニストに育てようとする母親の過保護のせいで同級生らから孤立している哀しさを後景に退ける。この少年との終盤の彷徨シーンなども、彼の淡い恋心の対象としての成海が、等身大の現実感を伴わないので奇妙な光景にしかなっていない。

実際のピアノコンクールは、テレビで放送されていてもあまり観ることもないのだが、急テンポで複雑な旋律を確実に押さえていく技量ばかりを誇示する演奏シーンには萎える。こんなものは音楽というより曲芸だと言いたくなる。一方、メインテーマ曲のように演奏されるピアノ曲は逆に、感傷的な甘ったるい旋律で嫌気がさす。最後の連弾シーンでも使用されていたが、そのまま移行したエンドロールでは同じ旋律が歌われていて、この歌曲の方は悪くない。それは歌い手の声の質感が曲調に合っていたからでもあるが、それをピアノ曲にすると、薄っぺらな感傷性ばかりが響くものに。ピアノが主題の作品なのにこれでは仕方がない。この監督は音楽に対して特に感受性のある人ではないのだろう。ワオが伴奏者となって貫地谷しほりが歌うシーン、歌い出しで彼女の口と声とが明らかにずれていて、あまりの気色悪さに世界が歪んで見えた(笑)。

うたの天才性が説得力ある形で描かれていないせいで、リヒテンシュタインが彼女を代役に推す行為も、フィクションとしての飛躍というよりは単なるキチガイ沙汰にしか見えない。リヒテンシュタインが演奏会場に訪れるシーンでの、あのしょぼい演奏シーンでうたの才能に彼がインパクトを受けたなどと納得させられるほどお人よしの観客はそうはいないだろう。演奏そのものや曲がどうとかいう以上に、適切なカットを重ねて「演出」を行なうということがまるで出来ていないどころか、それをしようとした様子すら感じ難い。

また、うたが舞台に出る直前に、ワオが彼女の前に現れるシーンで、彼がヌイグルミを渡すカットが無いせいで、うたがピアノの上にそのヌイグルミを置いて聴衆の笑いを誘う場面も大して活きてこない。同級生男子と電車に乗っているシーンでの、手のひらに文字を書いて遣り取りする際、文字が横向きに写されているせいで文字が読み難いのもどうかと思う。ショットを撮るという基本が出来ていない拙さが所々で目立つ。その一方で、コンサートでの演奏シーンの中に、雲の切れ間から日が覗くなどというベタなショットを平然と挿む。この幻想シーンでうたが佇んでいる湖も、ただ何となくそれっぽいシチュエーションとして持ってきたという程度の、根拠薄弱なイメージの挿入でしかない。

ヌイグルミにしても、最後に連弾される曲にしても、劇中で重要な要素らしい扱いを受けている割には、その根拠が不明で、全く空虚なアイテムでしかない。終盤の彷徨シーンでも、うたの聴覚がどうなっているのか曖昧で、手のひら文字で会話を交わす光景に、やはり聞こえていないのかと思いきや、「ピアノの墓場」に唐突に現れたワオがピアノの鍵盤を押し「聞こえる?」と訊けば「聞こえるよ」。いや、ワオがここで登場するのは、うたからこの場所のことを聞いていたから、うたの母親に詳しい場所を聞くなりして待っていたのだろうと推測できるし、ワオの押した鍵盤の音で初めて「聞こえるよ」ということに意味があるのも分かるのだが、まさかその鍵盤の一押しで急に聴覚が回復したなどとは言うまいし、「いずれは耳が聞こえなくなる(可能性がある)」という不安の描きようも半端なせいで、どうもいまひとつ納得のいくラストシーンと感じられない。

うたが母親からの押しつけがましい指図を嫌っているのは分かるが、本当はピアノが好きなのだという、もう一方の感情は、父親の思い出との絡みも含めて、痛切に伝わってくるものに乏しい。そこは、成海の大雑把な無表情演技の責任も大きい。彼女は大体に於いていつもずんぐりとした存在感ばかりが印象づけられがちなのだが、それは体型のせいというより、その演技が繊細さを欠いているせいだろう。

同級生としょっちゅう喧嘩する天才だとか、その貧乏な家庭事情とか、夜に密かに弾かれる、隠れ家のような場所に置かれたピアノ(廃棄されたピアノだが音は良いという設定)だとか、演奏シーンでピアノの上に置かれる小道具だとか、秀才君との対比によって、技術優先の、楽しんで弾くことが二の次にされる矛盾を描いていることだとか、どうも『ピアノの森』と被る面が散見される。原作マンガは本作の方が先んじているようだけど、映画の出来はあちらの方が遙かにマシなのが哀しい。

(評価:★1)

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