[コメント] ロッキー・ザ・ファイナル(2006/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ青少年だった頃、『ロッキー』を観て胸の奥が熱くしびれ、体の震えが止まらなくなった。同時上映の作品を観たあともう一回観てそれでも足りず、3週続けて週末に映画館に通い、計6回『ロッキー』を観た。6回とも体が震えた。しばらく時がたっても胸に何かが残っていると感じていた。
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30年後の“ロッキー”は、30歳くった自分に、また全く同じメッセージをくれる。
30年の間、何度となくこのファンファーレを胸の内に鳴らし、気持ちを奮い立たせ、不安につぶれそうになる自分を踏みとどまらせてきたことか。実際に、サントラをレコードで聴き、CDで聴き、カーステレオで聴き、ビデオでDVDで観て、ウォークマンで、ipodで聴いて気力を充満させたことが何度もある。
劇場で最初の音楽を聴いた時から、家族の、スタッフの、友だちの、仲間たちの顔が次々に浮かぶ。
身近にいるかけがえのない人たちに、自分は正面から向き合っているか。
彼らを守るために、自分はなりふり構わず戦おうとしているか。
打ちのめされても、前に進もうとしているか。
最後の“ロッキー”は、あまりに真っ当な、ストレートな、素朴な、言い換えれば短絡的な方法で、30年たった今も変わらない、いや、もっとはっきりとしたメッセージを発していた。
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作品としての評価はできそうにない。最初から感動してしまっているのだもの。
展開はあまりに予想通りで、最後の判定の点数まで、まさかと思いながらも薄々思っていたとおりだった。だが、どのシーンを観てもジンジン胸に響く。ちりばめられたエピソードは、あまりに都合良く動いているかもしれないが、少なくとも見事に私にははまり込んでいった。試合に向けて、すべてがあるべくして一点に向かって進んでいく。
全米のファンを奮い立たせ、誰もの心に強い影響力を与えながらも、ロッキーの視線は身近なかけがえのない人たちに向いている。彼らとつながりあって前に進むことが、ロッキーが望んでいることだと感じる。そう感じるのは、自分とシンクロさせているからかもしれない。
自分はロッキーにはなれないだろう。すぐ不安になり、挫折し、逃げたくなり、諦めたくなる軟弱な性格だ。人を引っ張っていくこともできないだろう。でも手をつなぐことは、結びあうことはできるだろうし、そのために不器用でも何かはできると感じた。
私も確かにロッキーが差し出した手に、手を伸ばそうとしている。
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