[コメント] 監督・ばんざい!(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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前作『TAKESHIS’』(2005)に続き、売れることを考えずに監督の作りたいように作った。という印象の作品だが、本作の場合の特徴は、芸能人ビートたけしではなく、監督北野武として、自分自身を客観視して観ていると言う点。それをダシにやりたい放題。ものとしても小津風、昭和30年代の風景、忍者作品、ホラー、SFと様々なジャンルに手を伸ばしている。
自分自身を客観視してるという視点は面白いし、こう言うメタ的作品は私は大好きなので、どうしても点数は甘くなってしまうのだが、実際少なくとも前半部分に関しては実験的作品としてかなり面白く仕上がってるのは確かだろう。様々なジャンルに手を出し、ことごとくそれが外れてしまい、その合間合間に面白くなさそうな北野監督の顔が挿入され、あたかも監督自身が本当に悩んでいるように見せている。最初から売れるはずのない。と言う前提で映画が作られているので劇中映画もやりたい放題。それはそれで大変面白かったと思うし、監督の狙いも良かったとは思う。つなぎで入る伊武雅刀のナレーションも絶妙。挿入の実生活も、キタノ監督が何もしゃべらず、ただ自分の分身と言える人形を虐待することで、彼が何を考えているのかを観ている側に推測させようとしているのだろう。
ただ、全体として観ると、映画自体があまり面白くない。と思えてしまったのは、やはり監督が最後に自分を出すことを恐れてしまったことと、最後にこの作品を「映画」として仕上げようとしたことが問題だったのではないかと思える。
劇中映画を複数出す場合、メインストリームとしての現実界の物語をしっかり作る必要があるのだと思うのだが、その現実の物語にはほとんどドラマがない。ただ監督と人形がたたずむだけ。ただ、前半では少なくともそれは間違ってなかったし、ここから物語が展開していくとばかり思っていたのだが、後半部の詐欺師母娘の物語は完全に物語になってしまっていて、メタ的展開を拒否してしまった。ここにも監督は登場するけど、キタノ監督ではなく、芸人ビートたけしになってしまってる。
監督はここでとうとう現実世界の自分を出さなくしてしまった。前半の路線で突っ走り、どんどん現実世界へと物語が浸食していくのか?と言うメタなオチを期待していたこっちとしては完全に肩すかし。
最後の物語にもいくつかのメタ的描写はある。端的なものとして井手らっきょの「私はウッチュージンです」があったけど、これは架空の物語ではなく、実生活の方でやるべきネタだったんじゃないのか?
この現実の中で行うべき交流とかドラマをすべて最後の物語に集約させてみたのだが、完成度が低く、ギャグも滑り気味。これだったらノリだけで作った『みんな〜やってるか!』(1994)の方が遙かに完成度高い。
『TAKESHIS’』とは違ったものを作ろうとしていることは伝わってくるが、出来ればあの完成体としての作品を見せて欲しかった。
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