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[コメント] サイドカーに犬(2007/日)

少女期の薫を演じた松本花奈は成人後のミムラの面立ちと連続性があり、この細かいリアリティにまず好印象。控えめな少女の、相手を見つめる目に宿る訴求力。その彼女を輝かせる光の眩さは、ヨーコ(竹内結子)の存在そのもの。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ヨーコという名の、伸びやかで明朗な響きそのままの、竹内結子の存在感。薫の母(鈴木砂羽)は、カレーを入れる皿にチョコレートなどを入れるのを嫌う、神経質な性格だったようだが、ヨーコはそんな小さな事など気にしない、さばけた性格。対照的に薫は、ああした性格の母に育てられたせいか、相手の顔色を覗い、大人の言いつけを守る性質。そんな彼女が、学校で言われた「コーラは歯が溶ける」という話を気にしているのを、試しにどんな味がするか飲んでみたら、と勧めるヨーコ。

ヨーコは薫に色々と新しいものに触れさせるが、ヨーコ自身、少女の頃に学校で「30年後に石油は無くなる」と薫と同じ事を教えられていたし、食べるのに躊躇していたカメノテを、親に気を使って無理に食べたりするような、どこか薫と似た所のある子供でもあったようだ。だからこそ、いつも遠慮がちな薫に、大丈夫なんだよ、と教えられる立場にある。旅先で出会ったおじさん(温水洋一)に「親子にしては年が近すぎるし、姉妹にしては年が離れすぎている」と言われるこの二人は、血の繋がりのある相手とは成立し難い家族関係、とでもいった、絶妙な距離感で結ばれていく。

一つ、象徴的なのが、ヨーコと、薫の弟・透(谷山毅)が楽しげにキャッチボールをしている傍らを、薫が遠慮がちに通り過ぎようとする場面。この時にボールがあらぬ方へと飛んだので、薫はそれを拾う。薫は、ここでまず気を使っているのだけど、自分が投げたボールがまたヘンな所へ飛んでしまうと、ヨーコの先へと小走りに駆けてボールを拾おうとする。ここでもまた気を使っている。だがそうして駆けた先に、自分の自転車が置いてある。ヨーコがタイヤに空気を入れて用意していてくれたのだ。ヨーコは言う、「自転車に乗れると、世界が変わるよ」。

この、父(古田新太)から教えてもらい損ねていた自転車の乗り方を、ヨーコに習うという事。自転車とは、自分の足で漕ぐ乗り物。だれかの傍らにじっと座って運ばれている、サイドカーの犬とは違う。薫は、偶然見かけた、サイドカーに自慢げに乗っていた犬に、憧れのような感情を抱いているようで、ヨーコから「飼われるのと飼うのと、どっちがいい?」と問われた時の答えがそれだった。この犬を見かけたのは、家族で乗っていた車が不調を起こして、道路で四苦八苦していた時。この車の不調は、後から振り返れば、そのまま家族の不調の暗示のようにも思える。

犬、といえば、薫がヨーコに誘われて、夜に山口百恵の家を探しに行くシーンも思い出される。そこでヨーコは、イルミネーションに輝く、山口百恵と全く関係なさそうな家に忍び込む。この辺にも彼女の行き当たりばったりな性格が表れている。その家の番犬はしばらく大人しくしており、ヨーコに懐いているふうだが、彼女が調子に乗って遊んでいると、突然吠え、二人は慌てて逃げる。忍び込んだ家から追い出される、とは、この物語でのヨーコそのままだ。

薫は、帰ってきた母にヨーコが追い出され、次いで父とも別れる事になった時、父に向かって「ワン、ワン!」と鳴きマネをする。これは、サイドカーの犬のように傍に居たいと訴えているのか、番犬が吠えるように怒っているのか。少女の感情の、曖昧で漠然とした、どうしようもなさ。犬は、何か分かりやすい暗喩や意味に回収されてはおらず、様々な感情のあやがその上を往き来する曖昧な符号としてある。

父と別れた薫は、父がくれた偽造コインを自販機で使おうとするが、警報がけたたましく鳴り、慌てて逃げ走る。その姿は、夜、ヨーコと共に番犬に吠えられて逃げた時の様子を思わせる。

だが、この映画は犬の映画ではなく、光の映画。屋外の光の、風景を漂白するような眩しさ。その白さがもたらす、カラッとした解放感。光はヨーコの明るさそのものだ。夜、番犬に追い出されたヨーコと薫を迎えに来た父は、サイドカー付バイクに乗ってくる。ヨーコに「薫はこっち」と乗せられたサイドカーで微笑む薫。彼女の顔を照らす光。劇中に登場する海も、光の粒を視線の先に降ろして輝かせる為の仕掛けとして用意されたように見える。

ヨーコと父が喧嘩して、今にも出て行きかねない雰囲気になった時、薫が、母のし残していったカーテンの洗濯を一人で始めようとするのは、カーテン=光を遮る物、という暗示――などというのはちょっと深読みのしすぎかも知れないけど。

成人した薫が、弟からの電話で彼がヨーコの事を父の「愛人」と呼んだ時の、彼女の表情。この、ことヨーコに関しては弟との間に深い溝がある事を感じさせる一瞬の間によって、薫とヨーコがいかに濃密な関係を結んでいたかという事と、それが今も薫の心に刻まれている事が窺える。弟が、近くでヨーコの自転車を見かけたというアパートに薫が行くと、そこは駐車場になっている。思えば『転々』でも、「今、東京の思い出の場所の半分はコインパーキングになってるからな」という台詞があった(奇しくも山口百恵の旦那の台詞)。邦画に於いて駐車場は、都会の無常を表わす記号となっているのかとも思える。

この帰り道、薫は、ヨーコが乗っていたのと同じ緑の自転車が、別人に漕がれて走り抜けるのを見る。一瞬、ヨーコの存在は幻のように消えたように思えるが、これはまた、「自転車」にヨーコとの思い出が凝縮された瞬間でもある。ヨーコと同じように、毎日自転車を漕ぎ、固くなった脚。ヨーコの存在は、薫の体に沁み込んでいるのだ。エンドロールの、自転車で並走する二人の姿は、静かだが、最もエモーショナルな場面になり得ている。

(評価:★3)

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