[コメント] アヒルと鴨のコインロッカー(2006/日)
濱田岳の生活感が瑛太を巡る事件の如何にもな道学臭に至ってしまう諧調のなさを戯れとして消化しようにも、メルヘンは獰猛に受け手の馴致にかかる。これは何か。
輪廻への不信は偶然への嫌悪に基づく。偶然を必然化せねば濱田との邂逅は俗謡に終わるが、メルヘンに馴致された結果、われわれは偶然を構造として捕捉してしまう。そこに生じるのは、輪廻という既定性が自助を促してしまう逆説である。
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