[コメント] ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序(2007/日)
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旧作エヴァンゲリオンでのシンジ君のキャクターの描き方っていうのは、それはすごく面白くかったのだけど、徹底的に逃げまくるキャラという思いつきに監督が酔ってしまったような、ちょっとわざとらしさを感じていたのだ。
例えば、エディプスコンプレックスを抱えている人物なら、それが発露しないようにむしろ隠そうとするのではないだろうか。父に認めてもらいたいなら、「父に認めてもらおうなんてこれっぽっちも思っっていない」という態度をとるほうが自然に思うのだ。怖いんだったら、むしろ「怖い」と言わない、乗りたくないなら「乗らない」と言わない。…10年前だとアニメでそこまでわかりにくく描くっていうのは難しかったか?っていうとそうは思わない。これは送り手と受け手が「設定」という情報を過剰にやり取りしたことで、キャラクターの記号化が進んでしまったからのように思う。
今回の新劇場版シリーズは、今度こそ物語的結末を描こうとしているからか、内面描写に拘泥せずさっさと話を運んでいる感じがする。しつこい心理描写が薄まった物足りなさはあるかも知れないが、記号臭さも薄まっていいんじゃないかと思う。TV版の記憶はあまりないけど、本部に連れてこられて、結構饒舌なシンジ君は、自分が多くの他人の大人たち(ネルフのひとたち)から「頼りにしている」みたいなこと言われて、悪い気がしないっていう感じに見える。そのほうが納得いくし、かえって「本心は父に評価されたい」がゆえに「父でない人から評価されよう」という感じさえするんだけど。父ゲンドウも、旧作では必要以上に偽悪的だったけど、それもだいぶ薄まった。話を先に進めようとすることで結果的に登場人物がだいぶふつうの人のように振舞うようになったというのが新劇場版・序の印象だったのだけど、この後どうなるのだろう? ただの薄っぺらいだけで終わってしまっては勿体無い。深層心理は「何となく」は感じさせて欲しいぞ。
逆に、アンビリカルケーブルとか、第3新東京市の要塞都市化とかという魅力的な設定の説明がはしょられていることは初見の人のことを考えて寂しい気がする。初見の人でも「何となくわかる」んだろうけど、そこは「何となく」じゃなく、まっすぐ使徒はネルフの本部を目指しているから戦闘区域が限定できるんだ、とか、だからこそ外部動力や火器の適時交換が可能であり、かつそのことを始めて明確にしたロボット(人型兵器)ものであり、その延長コードの名称は「臍の緒」っていう意味だとか「しっかり」わかったほうが面白いでしょう。もし『新劇場版』こそ、私の中のオンリーワンです!っていう人がいたとして(<いると思う)、そのへんの説明欠落は後で悔やむことになりそうだな…。「ああ、もうわかってるわかってるよ」って言われるから?…って、監督、今更そんなこと気にしてどうする! ん? その際は、また修正版を作るとおっしゃられるわけですか。
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