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[コメント] 西部戦線異状なし(1930/米)

全篇さまざまなサイズとアングルのショットで構成されており観客の目を楽しませてくれるが、戦闘シーンではドリーによる横移動ショットがやや特権的に用いられている。それはこの作品のスタンスが要請するところのものでもある。
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ここで主に取り上げられている戦闘の方法は「兵士が銃剣を持って突撃する」というものである。その兵士の動きに合わせた形で撮られる横方向のドリーショットが意味するものとは、つまり「人間を追いかけて描きはするが、その描き方は観察/記録と呼ぶにふさわしい仕方であり、云わゆる人間に『寄り添う』ようなものではない」ということである。人間に「寄り添う」というスタンスを取るならば、兵士の顔面のクロースアップや兵士の突撃と歩を合わせた(兵士の視線と同化した)前進移動撮影がより多く用いられるはずだ。この戦争映画があからさまな反戦的メッセージと(制作年代を鑑みれば、じゅうぶんに)派手なスペクタクルを有しながら、どこか「慎ましさ」の印象を与えるのは、このスタンス=作中人物との距離の取り方によるところが大きい。

窓が見事に使われているシーンについても述べておこう。それは冒頭、教師が生徒たちに出征を志願するよう煽るシーンで、教師の背後の黒板の両側には巨大な窓が設けられている。シーンの初め、窓の向こう側には町を行進する兵士たちとそれを讃える市民たちが映し出されているが、生徒たちはおとなしく着席している。そして教師のアジテーションやそれに心を動かされる生徒たちのショットが続き、生徒たちが出征を決意して教室を飛び出すというこのシーンの終盤のショットになると、カメラは再び窓およびその向こう側の行進をフレーム内に収める。要するに、シーンの開始時には断絶していた窓の<内側>と<外側>のムードが、シーンの終了時には正確に同一化しているのだ。戦争に対する若者のムードの決定的な変容を演技だけではなく、このように窓を軸として空間的にも表現できるというのは立派な演出力の証だと云ってよいだろう。

最後になってしまったが、これは「食べること」にこだわった戦争映画としても記憶しておきたい。私のような無知の輩は「戦時の食糧欠乏」というと太平洋戦争における日本(軍/民衆)のことくらいしか即座に思い浮かばないのだけれども、時代や場所を問わず戦争とは多くの場合「食べること」の戦いでもあったのだ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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