[コメント] ガラスの中の少女(1960/日)
戦前的価値の庇護の下にある靖代(吉永小百合)と戦後的貧困の下で喘ぐ陽一(浜田光曠)の出会いと自立の場としてモダンに切り取られた四谷駅の風景が秀逸。しかし、さも大仰に掲げられた「純潔」の価値どころか概念すら、私の世代でも最早理解し得ない。
これは映画自体のできの問題ではなく、時の流れの問題であるとは思うのだが・・・・。
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