[コメント] 明治大帝と乃木将軍(1959/日)
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君が代演奏から始まる新東宝バカシリーズ第3弾。明治37年、十二単で和歌詠んでいる高倉みゆき。嵐寛大帝、農業して休業中(リウマチだったとか)の乃木(林寛)を召集。スーパージャイアンツの園長先生ではないか。白鬚生やして田村高廣にも似ている。奥さん村瀬幸子。
西南の役のチャンバラの回想、連隊長として戦い、軍旗(旭日旗)を「薩摩反乱軍」に取られた。陛下より御咎めなし。「忠良なる臣民と軍旗とどちらが大切かと仰せられたそうだぞ」。切腹寸前でちょび髭の沼田曜一に止められる偶然。「命はいまより陛下にお預け申し上げる」。個人的にはこれら日露以前をもっと観たかったものだが、簡単に済まされた。
御前会議、細川俊夫の山縣有朋「国民は最後の一兵まで全てを投げ打って戦うと叫んでおります」と無茶苦茶云って、日露戦争。乃木は陸軍大将に任ぜられ、第三軍率いて旅順へ向かう。失敗。増援のため出港した軍艦敵襲で沈没、直前に甲板で軍旗を焼いて連隊長以下切腹。山縣ほか乃木更迭を天皇に具申、アラカン「激励してやるがよい」。乃木の長男戦死、次男も激戦地を志願して戦死。アラカンお見舞い。第三回総攻撃では何故か淡々と旅順陥落に成功。こういう処にドラマを求める気はない映画らしく、ただ史実を転記している趣。日露戦争モノらしいロシア兵とのエール交換もある。これは♪昨日の敵は今日の友という「水師営の歌」で有名な件らしく外せないらしい。友になるはずないと思うが。
ロシア討つべしの右翼の街宣の光景はしばしば描写されるものだが、本作にはこの右翼たちが同じアングルで連敗の乃木批判を始める描写がある。「二万余が戦死した」「日清では2日で陥落した旅順に1ヶ月も苦戦しているとは何事だ」「乃木を代えろ」「軍人なら切腹して国民に謝罪しろ」と自宅に押し寄せて投石。批難の手紙は何と戦地にも届いており、誰が乃木の処へ持っていくかで部下が押しつけ合いをしている。こういうのは多分本当なんだろう。「内地の人たちがこうして憤慨されるのも、わしが至らぬからじゃ」「国民の怨嗟はこの乃木ひとりが引き受ける」。
息子のあと追って死にたかったのに凱旋挨拶にアラカン「ひとりで死ぬなよ」。学習院教授就任。偶然乗った、老いた車夫中村虎彦の息子は二百三高地で戦死。「乃木大将は血も涙もない、人殺しのひでえ大将ですよ」。乃木は彼の四ツ谷の長屋(市ヶ谷から四ツ谷は貧民窟という描写は他の映画でもあった)に来て仏壇に参り、眼の悪い孫娘の治療費を包む。この件は本当か創作か、いかにも昔の偉人伝らしい逸話だった。乃木神社にも、子供にものくれてやっている銅像がある。
映画は殉死も描いている。アラカン崩御。自宅で正装した林と村瀬、赤玉ワインみたいな酒呑んで「陛下の御傍に行かれると思うと、こんな嬉しいことはない」と林。息子ふたりも「どんなにか喜んでくれることでしょう」と村瀬。二重橋前に額づき葬儀見送る人々とカットバックでふたりの辞世の句やら髪の毛やらが映される。切腹は映らず、伏見桃山陵のふたりの墓が映されて終わる。『二百三高地』の脚本書いた笠原和夫は、本当は奥さんはイヤがっていて、乃木が無理矢理押さえつけて刺したんでしょうと云っている。乃木は分裂症的なところがあり、冒頭の隠居も酒乱の治療とのこと(「昭和の劇 映画脚本家笠原和夫」)。
映画はアラカン天皇の活躍が足りないと思ったのか、従者に定年延ばして馬の世話しろという件が無理矢理足されていて違和感。戦闘フィルムは他作の使い回しがあるらしい。セットは割とセコい。
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