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[コメント] サウスバウンド(2007/日)

小学生でも判るアナーキズム講座。果たしてその真偽は?
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







いきなりだが、父親の豊川悦司はミスキャストであろう。彼には数知れぬ闘争を潜り抜けてきた凄みに欠けるし、数知れぬ難題を解決してきたユーモアとは質が違う、いわばお坊ちゃま育ちのユーモア感覚の持ち主だ。…あるいは森田芳光自身がそういうアナーキスト観しか演出できないのかもしれない。

この話の視点は息子の…田辺修斗のものである。地獄のような日常を平気な顔をして渡りきる彼のキャラクター造形は他の子供に十歩、いや五十歩くらいは差をつけている。しかしその逸材が、この物語ではすっかり凡庸で力任せな演出に呑まれてしまっている。

その演出の欠陥は、極端な敵たちのカリカチュアライズで知れる。あるいは子供が観ることを前提としての故意の戯画化かもしれないが、往々にして物事は想像通りには動かない。「子供でも判るアナーキズム」を劇場で眺めていたのは、自分の見る限り「闘争の季節」を我が身にしみ込ませてきた年配の客ばかりであった。その目に創作童話的に単純化された世界はどう映ったろう。ノスタルジーは喚起できたかもしれないが、現実にそれを活かしてゆく処方箋には、残念ながらなり得なかったのが実情であろう。

実例を挙げよう。田辺は決して体制の偽善を理解できぬことはなく、そして現実の悪とリアルに戦っている存在である。彼が見ている父親・豊川はいかにも頭でっかちの子供であり、決して世の中の不条理から家族を守ってくれるスーパーマンではない。言ってみれば「恥ずかしい」だけの存在だ。豊川とその最大の理解者に過ぎない母・天海祐希が息子の危機に何をしてくれるのかといえば、家族揃って西表島に逃げることをおいて他になかった。なるほど、逃走も兵法のうちだ。田辺は妹たちとともに危機から無縁な幸福な生活に「一度は」逃げ込めた。だが、そんな環境にも容赦なく試練は付き纏ってくる。そして敵と思う存分戦い、国家からすれば明確に犯罪と認められる行動をとったその時、田辺は父を初めて「カッコいい」と思う。自分にはそれは作者たちの牽強付会としかとれなかった。父とその理解者は、間もなく我が子をおいて島から逃亡してしまうのであるから。

父にとっての戦いは庇護のもとにある戦いでしかなかった。おのれが「権力あり。ゆえに我闘争す」といくら粋がってみせても、その裏にはつねに仲間達の協力があったのだ。しかも彼は彼らに後始末を任せ、最終的には逃げる。子供たちを戦士にたたき上げた父は、彼らなら自分たちだけで戦ってゆけると確信するや、トカゲたるおのれの尻尾として彼らを切り離す。同志たちなら許せよう。しかし、最後に彼らは子供を切り落としたのだ。

アナーキストの模範とはそういうものか?欺瞞はもはや隠しようもない。自分が豊川の後姿に見たのは、見下げ果てた無責任男の姿でしかなかった。

子供に見せちゃいけない映画だな、こういうのは。

(評価:★2)

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