[コメント] タロットカード殺人事件(2006/英=米)
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でも面白がるなと言われるとそれは無理だからタチが悪い。
本作のアレンの佇まいはいつも通りに面白いが、どうにも不機嫌な感じで、お相手がスカジョな割には興じているように見えない。水着のシーンでも直接絡んでいくわけでもない。まあレンズ越しに愉しんでるのかもわからないけれども、例えば『スコルピオンの恋まじない』でのシャーリーズ・セロンとの絡みのような「しっかり同画面内でのセクハラ」シーンが今回は皆無で、お得意のおしゃべりも次第にスカジョの耳には届かなくなり、二人の距離はどんどん離れていく。結局蚊帳の外の部外者感が強い。あっさり事故死してしまうところも笑えるのだが、ちょっとヒネってみたよ、というケレン味よりも、「アレンの退場」=「メタな自殺」=「死」というイメージが濃く、寂寥感が漂う。
このところのアレン作品は「退場」の気配が色濃く、どうやって「退場」すべきかを模索しているように見える。本作はその姿勢が不機嫌な形であらわれたものとして観た。脇役の顔面選択にいまいちこだわりがなく、いい加減なのが気になる(『おいしい生活』の脇役の顔面の面白さときたらどうだろう。何回観ても飽きない。もっとも、マクシェーンの顔面は面白い)。ヒュー・ジャックマンの肉体への妬みの視線もなんだか切実だし、三途の川を渡る最中に手品を披露して前述の台詞を反復するシーンも「俺はもう死人相手に芸を披露するよ、生きてる人たちはもっと楽しむべきものを楽しみなさい」というやけっぱちの寂しげなメッセージに見える。スカジョが生還した際の伏線不在の説明も唖然とするほど短絡的だ(ユーモラスという意味ではない)。大体、馬脚が現れれば意味が瓦解する手品師というキャラを自虐的に演じているあたり、自己批判的に我が身を重ねていたとしてもおかしくはない。正直、あからさまな「釣り」に見えるスカジョの水着にはあらゆる意味で度肝を抜かれた。今作のアレンはちょっと様子がおかしい。それは確信犯と思われる。
ただ、たとえテロ的に撮ろうとしたところで、残念ながらもはや「至芸」に達しているアレンの技は唯一無二の境地にあり、これを同分野で凌駕するものは当面現れないだろうし、その点きっちり自分でも認識していそうだから、一層イヤミだ。赤川次郎の出来損ないみたいなお話をよくもまあギリギリ面白くできるものである。なんというか、そういう主旨の実験映画に見えなくもない。
「ユーモアがあればそれほど人生は悲惨じゃない」という台詞が沁みる。とはいえ、死神を欺くことはできない。『人生万歳!』に至るまでの、いらいらしたアレンの胸のうちが透けて見えるような思いである。
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