[コメント] 大砂塵(1954/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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キャラの弱い人間から順に死んでいく。
つまり〔最初に誰かに殺された駅馬車の人〕→〔酒場の従業員トム〕→〔保安官〕→〔4人組最年少のターキー〕→〔バート(A・ボーグナイン)〕→〔キッド〕→〔エマ〕
という順に死んでいく。
主演のジョーンクロフォードの存在感もさることながら、多彩な脇役がいちいち面白い。例えばキッド率いる4人組など、個性が埋没してもおかしくないだろうに、丁寧に一人一人キャラが分かれているのには驚かされる(リーダー、乱暴者、病弱、未熟者)。多くのキャラを彼らの思惑を通してじわじわと描き、且つ殺していくことでキャラの強い者に中心を絞っていく脚本は見事だ。クライマックスなど、まさに有力者同士の星の潰し合いみたいな感じで爽快感がある。映像的には全く面白みがないと思ったが、登場人物の複雑混交とした意図がまとめられた脚本は練りに練られている一級品であろう。
中でも悪玉の中心をになったマーセデスマッケンブリッジ演ずるエマは超強烈なキャラである。見ているだけで憎憎憎らしくなってくるビッチぶりだ。彼女は映画史上稀に見る悪玉ではないかと思う。というのは、彼女の行為の根底に存在するのは《悪意のある悪》だからだ。単なる「悪意のない悪」が描かれている映画はごろごろと存在している。しかし、真に悪意によって衝き動かされている人間が登場するのは滅多にないことだ。胸糞悪くならない程度に描写は抑制されているものの、私怨で群集を統率し、法を無視するように誘導している。監督が何かに怒りを向け「悪」を描こうとしたのなら、エマの存在は悲しいことだが大成功なのではないかといいたい。彼女は弁解の余地もなく巨悪である。真に、憎むべき対象としての純粋悪だ。
まあ、これほどまでの敵を倒してこそカタルシスとなるものだ。それにしても、スターリングヘイドンは背が高くて、手のひらが大きくて、声も野太くてよく画面栄えのする俳優だなあ。
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