[コメント] ザ・マジックアワー(2008/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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前々から思っているのだが、三谷監督は映画作りの際、舞台的な演出を敢えて心がけて作っているように思える。舞台は舞台で良いところがあるし、映画は映画で良いところがある。その双方の良さを知っているからこそ、どちらの良さも併せ持った作品を作ろうと常に心がけているのだろう。
本作はその意味ではこれまでの三谷監督作品中最も融合が大変進んだ作品と見られる。舞台と映画双方が好きな人にはたまらない内容になってる。敢えて映画俳優に胡散臭さとオーバーアクションの舞台的な演技をやらせて自然さよりも見栄えを強調させ、敢えて観客に顔を見せようとする作り。笑わせるところはちゃんと役者も工夫して、「さあ、みんなで一緒に笑いましょう」的な舞台演出で笑わせてくれる。本当に舞台と映画双方をよく理解している三谷監督ならではの演出方法だ。
ただ、改めて考えてみると、実はこの映画の作りは、60年代の日活アクションで多用された演出方法でもあるんだな。舞台劇と映画をどんどん融合させていくと、そういう方向性になっていくんだな。と再認識。改めて60年代の日活アクションを再評価したくなるような作品に仕上げてくれた。そう言う意味で作りが非常に巧み。
更に60年代を意識させる作りは、わざわざここに先日亡くなった市川崑本人を登場させ、『黒い百一人の女』なる作品を作らせてる(言うまでもないがこれは市川崑監督の『黒い十人の女』(1961)をリメイクさせている(あるいはその本体を撮っている)という設定)。しかもそこで登場させる中井貴一なんかに当時っぽい演技をさせているあたりにも見られる。他にも様々な映画のパロディが登場するが、その大部分は50〜60年代の映画ばかり(深津絵里が月に乗って歌うのは『ギター弾きの恋』だろうけど、この映画自体が60年代を舞台にしてる)。
つまりこれは、現代を舞台にしていつつ、実はこの舞台は60年代で止まってますよ。という一種の見立てであると考えるべき。演出のみならず、価値観や言動を敢えてその時代に区切って使ってるし、多分劇中で佐藤浩市に言わせた、B級映画の思い入れは、三谷監督自身の思い出でもあるんだろう。
その中で、60年代の映画はこんな感じだったんですよ。とさりげなくマニアックな知識やネタを散りばめつつ、敢えてベタな笑いへと誘う。三谷演出の笑いは、古くから伝わるものを上手くアレンジして使っているので、こういう笑いの演出は本当にほっとする。 だから本作の映画にリアリティがないとか、現代的じゃない。ってのは野暮ってもの。最初からそれを見越して作ってるんだから。
ただ、これだけ褒めておきながら、点数はどうしてもあまり上がらないのは、私が最も苦手な物語は“善人を騙し通そうとする”作品で、まさにこれがそのものだから。騙す方も騙される方も痛々しくて直視するのがキツイ。私はワイルダー作品が大好きだけど、唯一『恋人よ帰れわが胸に』だけは直視できなかったから。土台この作品自体がその『恋人よ帰れわが胸に』を含めたワイルダー作品への思い入れたっぷりに作られてるわけだし。
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