[コメント] 幸せの1ページ(2008/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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アレクサンドラ(ジョディ・フォスター)が決死の覚悟で扉を開いて向かう島そのものが、彼女の脳内世界そのもの。ニムを演じるアビゲイル・ブレスリンはジョディ・フォスターの少女時代をどこか彷彿とさせるし、ニムの父ジャックを演じるのは、アレクサンドラの第二の人格・脳内亭主のアレックスと同じジェラルド・バトラー。おまけに動物たちはアニメ的童話的なまでにニム親子に味方し、ニムは父の不在の間、外部から他人が侵入して来ないように動物たちとゲリラ戦を展開する。観光客らの中でもとりわけ目立たせられているのがメタボな体形の三人家族という、恰も「デブは体形そのものがコメディである」と言わんばかりの演出。ニムは島に来た大人たちに、行方不明の父の事を告げようともしない。しかも島を見つけた連中は、ニムの母が発見した鯨を驚かせて彼女を飲み込ませた「海賊号」という出来すぎな展開。この「今も鯨の腹の中(つまりは空想の中)で生きているかも知れない母」という設定も大して活かされないまま全てご都合主義で展開するストーリー。
結局、自力で帰って来たジャック。これではアレクサンドラが何しに来たのかよく分からないかに思えるが、要は彼女の脳内世界とピタリと一致する無人島に、自分の分身のようなニム親子と引き籠る為にやって来たわけだ。自宅の扉の外に出ようとするアレクサンドラと、火山の噴火口を観察しようとするニムとを、交互に映しだすシーンは、二人の「大冒険」のギャップを感じさせはするが、アレクサンドラが電子メールに「書いた」通りに噴火口に行ったニムが怪我をし、その治療もまたアレクサンドラが「書いた」通りにする様子からは、ニムは作家の代わりに冒険する駒でしかないようにも見えてくる。
ラストシーンの、わざとチャチに作られた地球が木の実に変わって、それを三人がウフフアハハと蹴って遊ぶ光景は、「全ては我々の脳内世界である」と言わんばかりの「現実」の蹂躙であり、『チャップリンの独裁者』でヒトラーが地球儀を玩ぶ場面などより、よほど不気味。究極の脳内引き籠り。
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