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[コメント] 12人の怒れる男(2007/露)

十二人の怒れる男』の、夏のさなかの狭い室内、理詰めの議論の緊張感による密度に対し、本作は、広い体育館、冷たい空気、遊戯的な小道具、情緒的な自分語り、場面ごとに劇的に切り換わる照明、等々、歌と踊りのロシア的祝祭感に溢れている。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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男たちが唐突に始める自分語りに対しては、他の陪審員から「事件と何の関りが?」という突っ込みは入るものの、結局この映画に於ける、謎解きに関わる箇所は、感情を揺さぶられた男たちの心変わりに一応の尤もらしい理由付けをする為の要素以上のものではない。論理的な謎解きが、簡単な言及で済まされている部分が目立つことから見ても、ドラマの推進力はやはり、彼らの自分語りと、それが波打たせる情動だ。

同じカットの執拗な反復や、スローモーションの挿入の仕方、冒頭クレジットタイトルでのフォントのいじり方など、画的な演出に関しては疑問の残る箇所も多い。とはいえ、突然の停電の際に鳴る大音響による、観客を平手打ちするような場面転換や、役者たちの熱狂的な演技をスピーディなカット割りで繰り出すパンチ力、特大ブラジャーや注射器ダーツ、係員が子どもの玩具を自ら改造して作った呼び出し装置の音の大きさ等々の、小道具のナンセンスな遊戯性など、楽しめる要素がふんだんに盛り込まれているのが嬉しい。

体育館の傍を時折通っているらしい電車の音や、射し込む外光の変化が告げる時間経過、容疑者の少年について「鳥ほどの頭しかない」という言葉が出てきた後に体育館に飛び込んできた小鳥が審議を見守り続けることなど、男たちが語るロシアの世情と同じく、体育館の「外」を意識させる構成になっている。そうした点からも、ミハルコフがこのひとつの事件の審議にロシア全体の問題を象徴させようとしている意図が感じられるのだが、あまりにその方向に傾きすぎたせいで、全体的にやや散漫な印象を受けてしまうのも事実。

終盤、元将校の陪審員による、少年の命を永らえる為に敢えて有罪にしようという提案によって、刑務所という場所の意味合いが、「監禁」から「保護」へと180度の転換をする辺りは見事であり、また、その提案に対する倫理的判断の難しさを他の陪審員らがどう考えるかという点で、スリリングでもある。彼らが体育館に入った際に、扉に鍵がかけられていたが、そのとき同時に少年が監房に入れられるカットも挿入されていた。つまり体育館の男たちと少年とは、ロシア社会という「外」に囲まれた、隔絶した場所に入れられるのだ。だからこそ、元将校の提案は、ロシア社会に対する密かな反逆としての緊張度を、より高める。

面白いのは、この提案に対し他の陪審員らが、自分の生活があるのだからと反対すること。彼らが、元将校を残して全員が「無罪」に行き着いたのは、過剰なまでの自分語りによって少年に同情したからだった。だが今度は、その「自分」の生活を犠牲にするのは敵わんという、同情の限界を告げての「無罪」判断になるのだ。その意味で、この結末は、長い話し合いの末に「無罪」判決に辿り着いたということそのものの意義を根底から疑わせるようなものでもある。甘い情緒的なリメイク作と思わせてその実、情緒なり同情などというものが対してあてにならない現実も突きつけるという、意外にシニカルな面もある作品。

(評価:★3)

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