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[コメント] 蛇にピアス(2008/日)

吉高由里子の舌足らずで淡々としたモノローグが、露悪的なまでの数々の光景から滑り落ちる。中身の無さを痛みで埋める幼稚さへの批評性が無いわけではないが、何か爺さんが孫娘を甘やかしているような弛緩を感じなくもない。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







街を舐めるように撮っていくファーストショット、看板や液晶ディスプレイなどに人物の顔や姿が巨大なイメージとして掲げられ、街と人間の身体とが一体化した光景を見せる。それを遠景で捉えるのではなく、かなり寄りの画で撮っていることで、息を潜めて覗き見しているような息遣いが感じられる。だが、建物の上方を捉えていたショットが地上に下り、ルイ(吉高由里子)の身の丈の視線になった辺りで、ショットの印象も弱まってしまう。この最初の心配は的中し、中身空っぽな小娘の空っぽな痛みを捉えることに終始するこの映画は、最後までかなり退屈。街の方が「顔」に於いてヒロインに完全に優っている点に、この映画のダメさ加減が端的に表れている。

ファーストショットで生々しく示された街は、以降は後景に退くとはいえ、画的な演出に活かされている。刺青を入れる為とはいえ、シバ(ARATA)にルイを無防備に明け渡した格好になった自分の情けなさを嘆くアマ(高良健吾)とルイが、雑踏の中で抱き合うシーン。雑踏を歩いていたルイが少年にぶつかり、母親から睨まれるシーン。並んで歩きながらルイがアマに「アマが居ると皆、道を空ける」と言う台詞。ルイ、アマ、シバで歩きながら、周りの人たちから見ればアマもシバも怖い、とルイがからかうシーン。居酒屋で上半身裸になり、刺青を晒すシバとアマ。こうしたシーンで、街と、そこを普通に歩く人々と、ルイたちとの隔絶が演出される。

そうした、衆目に晒される場所と対照的な、刺青を入れる行為の密室性。その隠避性と苦痛とが絡み合う、ルイとシバのセックスシーン。ピアスや刺青は、異様な存在として周囲の人々から隔絶されてあること、自分が別の何者かに変貌すること、この二つを痛みと共に快感として身体に刻み込む。一方、ルイは、殺人を犯してしまったらしいアマの髪の色を変えさせ、服も刺青が見えないものに変えさせ、アマが他人との差異を際立たせる外形を隠蔽する。だが、ルイに絡んできた男を殺すことで、ルイの為に社会との究極的な隔絶を行なったアマの行為は、誰にも明かせない秘密として、二人の絆ともなるわけだ。

サディストのシバはルイに、「もし自殺するなら俺に殺させてくれ」と頼み、死姦をしたいが、ルイの苦しむ顔が見られないなら勃たないかも、などと言う。アマもまた、刺青を完成させたことで空虚感に苛まれ酒浸りになるルイに「ルイ自身であろうと、ルイの体を殺されるのは耐えられない。死ぬのなら俺に殺させてくれ」と言う。結局ルイは、彼女に「殺させてくれ」と頼んだ男が、ルイを他の男に奪われない為に相手を殺す、という事態に二度直面することになる。アマの無惨な遺体と対面したルイは、「自分の所有物だと信じていた男が、赤の他人にいとも容易く玩ばれた」と語り、シバとのセックスにも無反応となり、それこそ死姦状態と化すのだが、アマを殺したのがシバらしいことを直感したところで再び、仮初のような生気を取り戻す。

ルイは、シバとの会話で「アマと普通の会話をしたことがなかった」と嘆くが、「普通の会話」とは、年齢、両親、本名、仕事といった、社会性に関わること。また、「どうしてだか、みなしごだと思われる」ルイに両親がいることを知ったシバは「一度挨拶に行かなきゃな」などと、妙に普通な台詞を吐く。そして、彫り師を辞めてルイと結婚したいなど告げるのだ。そうした「普通の会話」をしていなかったアマが行方知れずになったとき、捜索願を出そうとしたルイが口にした台詞は「家族じゃなくても捜索願いって出せますか」。結局、本名が分からず捜索願いは出せず仕舞いとなるのだが、家族だとか本名だとか、バイト先が分からず連絡できなかったことだとか、アマの失踪によってルイは初めて、社会性という石に躓く。窮した彼女が、アマによる殺人という秘密をシバに明かしたこと、その当のシバが殺人という秘密を抱える張本人であるらしいことなど、シバという大人の掌の上で踊らされるルイ。

アマと同じスプリットタンにしようと、無理なくらいに穴を拡張していたのを途中で放棄したルイが、舌に縦に刻まれた穴を鏡で見るシーンは、その切れ込みが陰裂のようでもあり、体に挿し込まれる痛みと快感という点で、シバのサディスティックなセックスと、ピアスや刺青は、同等の行為だったのだと再確認させられる。冒頭、静謐さに包まれていた映像に一気に音が雪崩れ込むのは、アマに声をかけられたルイがイヤホンを外すことによってだが、クラブの騒音と共に流れ込むアマの第一声「スプリットタンて知ってる?」が、ルイが外界と接触する入り口となる。その入り口を通過した物語の最後にきちんと出口を示して終わるわけだが、その先もまた空虚。観客はこのトンネルのような作品に入って出てくるだけだ。

強面でありながらも繊細さを垣間見せるシバ。そのバカさ加減がルイにとっては可愛くもあるのだろう幼児性を示すアマ。この二人の存在感が吉高を両脇から支えていた観がある。一方で吉高は、ルイの、痛みを求めずにはいられない心情の切実さとリンクし損なっている面があったかも知れない。演技そのものは及第点だとは思うが、ルイの自傷行為的な生き方や、二人の男を惹きつける吸引力という点で、ルイが有しているべき「暗さ」――依存心や潔癖さ、脆さや幼さ、優しさ残酷さなどが混沌として沈殿した暗さ――が、吉高には決定的に欠けている。

刺青には特に興味は無いが、絵を描くという行為を、準備過程から丁寧に捉えた映像にはやはり惹かれる。医学的な知識と図像学的なセンスが同時進行していく刺青というものの意外な魅力は発見できた。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ダリア[*]

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