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[コメント] その木戸を通って(1993/日)

序盤の中井フランキー井川らのコメディがいい。チンピラ風情の中井にいい味があり愉しめる。ここが見処だろう。お城勤めも監査では毎年徹夜になるなんて細部も愉しい。本筋は面白くなりそうなのに半端。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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記憶喪失もの。見ず知らずの浅野ゆう子をなぜ引き留めたのか、泥棒その他の類かも知れないのだから、もうひとつ説得力はない。恋愛になれば問題は何もなくなるという処で粉飾している。ここへ来た理由を「思い出すと、貴方と離れなければならなくなる気がして」と浅野、「夫婦になったからもう離れない」と中井。でも娘の婚礼の日に消えてしまう浅野。

浅野は何だったのか、映画は拘りを見せない。民話的な何かの御恩返しでもない。浅野は最初、中井を訪ねてきた訳でもないと、井川の回想で終盤明かされる。訳の判らない手紙をもらい、探して他所で貧乏な夫婦生活をしている浅野を発見して、あれは人違いと戻って来て、「これでよかった」とごちり、「俺はほどほどに幸せだったと思う」と字幕が出る。

なんだろうこの自足感は。才気走っていた頃の市川崑なら、中井を木戸を通って記憶喪失で失踪させ、元に戻らせなかったと思う。そのような民話の徹底のほうが面白いと思うのだけど。それから不明点がふたつ。浅野が失踪したと中井から相談されたフランキーがひとりになって苦悶の溜息を漏らす。これがなぜなのかよく判らない。フランキーは浅野を訪ねた時、浅野の草履づくりが下手だと揶揄い、浅野ははいと微笑んでいる。この件との関連はあるのかないのか。

当時すでに時代遅れだっただろうシンセの劇伴が不調和。フランキーや岸田今日子が90年代にどんな老け具合だったのか確認できるのは愉しい。ハイビジョン撮影の苦労話がDVDの付録で記録されている。太陽光なしに撮影できなかった草創期から100年、映画が撮影時に太陽光を隠すことになるとは時代が変わったものだ。浅野は『獄門島』で出ていたなあ、狂女の役。これも隔世の感。目線を遠くに落とすとき、彼女はとてもいい表情をする。

(評価:★3)

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