[コメント] ホノカアボーイ(2009/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
CFディレクター出身監督らしく、画としては小奇麗だが映画のショットとしての面白さを欠いたカットが延々。
“smart girls”的な爽やかな色気を振りまくマライア(長谷川潤)の、人当たりのいい率直さ。イタズラ好きで料理上手という両面的な性格をその無表情さで接続するビー(倍賞千恵子)の、年齢無効の少女性。よぼよぼした体から、亀仙人的なエロを元気に発散するコイチ(喜味こいし)。食いしん坊エデリ(松坂慶子)の、二の腕の脂肪分の幸福感。他、みずえ(正司照枝)、バズ(チャズ・マン)、更には、チラッと顔を出すだけのチャコ (深津絵里)や、ヒゲを描いて成人映画を観ようとする少年まで皆、それぞれにキュート。
そんな中、映画の核となるべきレオにだけは、特筆すべきキャラクター性が欠けていて、結果、魅力的な人物たちもただ眼前を流れゆくだけで終わってしまった観がある。
余白的な空間を大きめにとる構図と、カラッとした光に全てを照らしださせるシンプルな画作りで、空気感は醸しだしているが、画がキレイだったという以上の感興をもたらさない、感覚的な奥行きを欠いた画面。姦しいブログ女三人衆のデジカメ撮影や、レオがビーの料理を毎回ポラロイドカメラで撮る行為などに見られる、何気ない光景をその何気なさに於いてそのまんま肯定する、インスタントで短絡的な映像意識は、この映画のスタイルそのものでもある。
これも画的な短絡さの表れなのかも知れないが、この監督、妙に尻にこだわりを見せる。尻さえ出せば軽い画的インパクトにはなると踏んでのことなのか何なのか。マライアがレオと海で遊ぶシーンでは、海へ走る彼らを後ろから捉えて水着の尻。レオが彼女を仕事場である映写室に案内するシーンでは、先に階段を上がる彼女の後ろから尻。彼女とレオが最後に一緒にいるシーンでは、去り行くマライアに幽霊コイチがスカートめくりで尻。まあこれは観客サービスとして素直に受けとめさせて頂くが、分からないのはレオの尻。車を停め、パンツを脱いで尻むき出しで着替えるシーンが二度もある。コイチのシャツの文字「同性愛」がつい脳裏に浮かぶが、正直、要らない尻。「このケツ丸出しによって、レオが一皮剥けたことを表現しているのだ」と、ひょっとしたら演出家は言うかもしれないが、尻を出す以上の表現が不充分すぎるので説得力なし。
映画としての演出に大して気を配っていないのは、ビーが亡くなった(というか、消滅した)後の「一年後」に再びレオがホノカアを訪れるシーンで、「一年後」のニュアンスが皆無である点にも顕著。この無時間的な淡々としたタッチが持ち味なのだとは言えるだろうが、その「淡々としたタッチ」があまりにもダラッと繰り返されていくのには、飽きる。それはまた、ホノカアがあまりに自己完結的な天国として静止した世界であり、レオがそこに何の違和感もなく収まってしまっている(雰囲気的には非常に近い『めがね』との、決定的な違い)からでもある。
また、コイチの死はまだしも、ビーまでもが風のように消えて無くなる(亡くなる)のはいかがなものか。レオがホノカアを去り難い理由を除去する為にビー自らきれいに消えたのだと受けとめて、ロールキャベツの作り置きを残す行為と共に感動を誘われる面が無いわけではないが、やはりあまりにもお話的に都合のいいように消去された感が拭えない。それは、ビーの卒倒と失明という出来事が、あまりにもご都合主義的に起こったせいでもある。レオがホノカアを去り難いのはこの失明のせいでもあり、お話としての伏線がきちんと敷かれているわけだが、話の骨組がこんなに見えてしまってはいけないだろう。もっと巧く肉付けしてもらいたい。
レオの生活感の無さも気にかかる。彼が映写技師として働く苦労や喜びが伝わらないせいで、映画館が廃業するか、或いは存続するか、という話が出ても、全くどっちでもいい話としか感じられないのは致命的。怪我をしたバズの代わりに映写を担当して失敗するシーンはあるが、その後で成功するシーンは無い。レオが映画館と関わり合うさまが全然見えてこない。CF的な雰囲気重視の画作りに捉われすぎて、フィクションを成立させる演出にまで充分に手が届いていない。
冒頭シークェンスにしか登場しない蒼井優が、ビーが窓から落としたコーラの滴を受けた様子を見せないことで、彼女がホノカアと何の接点も無い存在であることを感じさせたり、そのシーンで彼女が食べていたスナック菓子の空袋が風に吹かれて転がっていくカットが、ホノカアに於ける彼女の不在感を演出するなど、多少の工夫は見られる。尤も、レオと彼女との関係は淡々とした描写に終始しており、そのせいで、失恋後のレオがホノカアに一時住むことにする行動も、特に何の印象も与えないものとなる。全篇がこんな調子で、無味無臭、潮の香りさえしない映画となってしまった。
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