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[コメント] アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン(2009/仏)

画家フランシス・ベイコンへのオマージュを感じさせる映画。キリストの受難そのものに猟奇性を見るような倒錯した視点が面白い。が、テーマに対する切り込み方は物足りず、映像のインパクトのみで流され気味か。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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猟奇殺人犯・ハシュフォード(イライアス・コティーズ)が被害者の遺体を素材に制作した彫刻が、あからさまにフランシス・ベイコンの絵画作品そのまんまなのが笑える(ベイコンには"キリスト磔刑図の為の三つの習作"という作品もある)。いや、これはオマージュと言うべきか。長い首を表すのに、脚と思しき部位を用いるなど、その発想は無かったな、と妙に感心。いや、そもそも人体を素材に立体作品を、などという発想自体が無いんですが。機械で動くようにしてあればより面白いものになったかも。まぁベイコンのイメージ世界が立体で見られただけでも面白かった。

そのハシュフォードを追う為に彼に感情移入したことで精神に問題を抱えることになるクライン(ジョシュ・ハートネット)。彼は、シタオ(木村拓哉)が他人の傷をその身に移す能力を持っているのと対応するようにして、他人の存在が精神に転移してしまう人物というわけだ。ドンポ(イ・ビョンホン)の愛人であるリリ(トラン・ヌー・イェン・ケー)はシタオに対し、「あなたは世界でいちばん美しい」と告げるが、クラインは、素行調査中に、自らの調査対象である人妻が、「世界でいちばん」に見えてしまう男。またハシュフォードはクラインに、キリストについて語りながら「人類の完成には肉体の苦痛が必要だった」、苦痛は「世界でいちばん美しい」と持論を語る。一見すると崇高に見えるキリスト的自己犠牲は、ハシュフォード的猟奇趣味と紙一重ということだ。

ラストで遂にクラインが対面するシタオは、ドンポによって磔にされた上、恐らくは、途中で彼の許に現れながらも助けを呼ぶ声を無視して去った男によって、冠を被せられ、金箔でその身を装飾されている。彼はアート作品にされてしまったのだ。劇中、クラインとドンポが個々にシタオの行方を探す様が描かれたシークェンス中、街中で仰向けに寝ている男が現れ、その主観ショットではビルの隙間が十字に見えていたのだが、その男が、同じように仰向けに寝かされたシタオを装飾したのだ(実際にそれを行なっている様子が写されているわけではないが)。磔にされた際、シタオは、聖書の記述通り、イエスのように「父よ」という言葉を口にする。そして最後に「父」から遣わされたクラインに救われるのだが、クラインがその「父」と会話するシーンでは、大富豪であるらしい依頼主はその姿を見せず、通信機越しの会話に終始する。そして「父」はクラインに、「かつてはそこから息子を見ていた。君が今いる場所で」と告げる。クラインは言わば、ハシュフォードのような存在さえも受け入れる「父=神」の視点に立って、シタオ=イエスを救いに遣わされた天使なのだろうか。クラインがハシュフォードの家を訪ねるシーンでも、床の水溜りに映った蛍光灯が十字になっている。

マグダラのマリアのようにシタオを慕って傍にいるようになったリリを追ってきたドンポは、「恐れるな。あなたのような人は僕を恐れる」と言うシタオに「お前なんか怖くない。俺は地獄を見てきたんだ」と言い返す。この台詞はそのまま、シタオの行方を尋ねるクラインがドンポに告げる台詞でもある。マフィアであるドンポが見てきた「地獄」、そして自らがその地獄の恐怖と化したようなドンポの暴力は、クラインが見てきた「地獄」、そしてクライン自らがその地獄に浸食された狂気によって、或る意味では凌駕されたのかもしれない。より神に近い者としてのクラインが、悪魔的なドンポよりも地獄の恐怖に通暁しているという逆説。

クラインと車に乗ったメン・ジー(ショーン・ユー)が、逆走したままドンポを罵倒するシーンのアクション性。撃たれて本来は死んでいる筈のシタオの顔を、蛆虫が這い回るシーンが、彼のキリスト的な再生の暗喩となっていること。クラインが、シタオの傷だけを撮った写真を並べて、ハシュフォードの彫刻のように飾る光景。こうした視覚的インパクトの強いシーン作りがある一方、「苦痛」というテーマに対する思索的な追究がもう一歩足りない点が惜しい。

(評価:★3)

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