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[コメント] 蟹工船(2009/日)

愚直すぎて稚拙にさえ思えるメッセージ性。現代に『蟹工船』を蘇らせることの意味を考えた。個人的には断然“アリ”なのだけど……。
林田乃丞

 物語よりさきに、映画美術というものについて考えさせられた。この作品の美術を担当したのは、とても高名な方なのだそうで。その方の手によって現代に蘇った「蟹工船」は、たいへんオシャレで、ポップで、目に楽しいものだった。

 だけど、あの大きな歯車はどうなんだろう、と。あれを人力でまわして工場の動力とするという設定は、どうなんだろう。確かにあの歯車は労働者側の旗印にもなっているし、非常に象徴的な存在として映画のなかで機能している。さらに「大きな歯車を人力で回す」という行為はそれだけで「労働が過酷ですよ」という記号にもなりえている。だけど、いまの時代の労働問題とはこれは、完全にかけ離れた象徴性なんじゃないだろうかと思うんだ。そもそも、巨大な船を走らせる動力を積んだ蟹工船で、工場部分だけが人力の歯車で動くというのは、まったくリアルじゃない。一方で石炭夫もいるし、労働の過酷さを描く上で、その過酷さがリアルじゃないというのは、ちょっといただけない気がして。

 そもそも、いま小説「蟹工船」を買っている層というのは(本当にそんなに売れてるのかどうか知らんけど)、ああいった過酷さに身を晒されているわけでは決してない。むしろ、歯車があればいくらでも汗をかいて回したいのに、その機会さえ与えられない者たちなのではないだろうかと思う。本来、映画が物語で訴求すべき対象とズレが生じているし、そうしたズレを生じさせてまで美術は美術としての存在感を主張していいものなのだろうか、と。美術が物語を侵食していいものなのだろうか、と。そんなことを考えた。

 で、物語そのものについての話。とてもシンプルに、映画は「行動せよ」と謳う。原作が思考せよ思考せよ思考せよと訴えたのとは、ニュアンスが異なっている。おそらくこの主張はSABU監督の心の叫びだと思うし、だからこそこの作品はそれなりの加速度を持っていたと思う。

 娯楽監督としてデビューし、勢いを失いつつあるように見えたSABU監督、その“疾走感”に復調の気配を感じた。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)死ぬまでシネマ[*]

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