[コメント] 不死身の保安官(1959/英=米)
主人公は英国人でケネス・モア。冒頭は英国のシーンで、モアの叔父さん−ロバート・モーレイが、家業(武器製造販売会社)に身を入れない甥を嘆く場面。モアは発明好きで、馬が不要な馬車(自動車)の開発に凝っているが、工場(と云っても小屋)を爆発炎上させる、といったコメディ場面をのっけから挿入し、本作が純粋な喜劇であることを宣言する(と同時に自動車がまだ発明前の年代であることを示す)。しかし、この開発途中の自動車の、メカとしての造型の面白さもなかなかいいと思う。そして、会社の販路拡大のため、アメリカ西部なら銃の需要が期待できるだろう、というキナ臭い動機で、一人、米国へ旅立つ、という展開だ。
いきなり荒野を走る駅馬車の中のケネス・モア。こゝでインディアンの襲撃を受けるが、包囲された駅馬車の中から、モアは話し合いで解決しようと一人脱け出し、上手く酋長の背後に回って、ホールドアップさせる。モアは口頭注意するだけで、酋長に弓矢も返してしまうのだが、酋長は、命を助けてくれたことに免じて、仲間を退却させる。こんな感じで、この後も、いくつかの難局を上手く回避していく様子を描いていく。こゝに、TとSという何故か劇中でもイニシャルでしか呼ばれない2つの牧場(カウボーイの勢力)の諍いを背景にし、モアがどちらにも銃を売り込もうとする中で(さらに、農民やインディアンにも売ろうとする)、『用心棒』のように(いや、実は、まったく真逆にというべきだが)、平和な町を築いていくという離れ業のようなプロットが描かれている。
さて、書くのが遅くなったが、本作を紹介する場合、ヒロインのジェーン・マンスフィールドについて真っ先に書きたくなるのが普通かも知れない。役柄は、ホテル兼サルーンの経営者で、サルーンで催されるショウの演者でもある。本作のマンスフィールド、セクシー場面は抑制されているが、しっかりとその魅力は演出されていると思う。予想に反して、なぜかずっと胸元を見せないドレスを着ているのだが(でも却って胸がメチャクチャ強調されて見えて、ちょっと気持ち悪い感もする)、ただし、サルーンでのショウの場面では綺麗な脚線を披露する。
モアとマンスフィールドはあっという間に恋に落ち、その納得性は低いけれど、そんなことをあげつらうのは野暮というものだろう。2人が馬車に乗って遠出し、川岸で銃の練習をする場面もいい。少しずつ接近するドキドキ感が上手く演出されている。また、その帰路、渓谷を馬車で行きながら、マンスフィールドが主題歌を唄う場面の、カット繋ぎ(スクリーンプロセス合成のショット挿入も含めて)もいいと思った。納得性、ということで云うと、前半で描かれた、マンスフィールドの鉄火肌や、銃の腕前に関する女傑としての描写が反故にされる、あるいは、モアの袖の仕込み銃というアイテムもほとんど後半のプロットに絡まない、という点の方が、私は気になってしまった。
あと、脇役では、飲んべいの町長役−ヘンリー・ハルがいつもながらの見事な存在感。TやSの牧童の中では、西部劇俳優として馴染みのある、ブルース・キャボットやウィリアム・キャンベルが中途半端な扱いなのはちょっと残念。特に、序盤かなり目立っていたキャンベル(キーノという役名)が、すぐに退場してしまったのには吃驚してしまった(サルーンでモアに沢山飲ませる場面)。
ウォルシュは『栄光』や『いちごブロンド』といった傑作コメディも物しており、私の中では、喜劇も折り紙つき、という感覚だったので、これぐらい面白いコメディ西部劇を見せてくれることに驚きは無いし、もっとぶっ飛んだ演出を期待しながら見たぐらいだが、しかし、ウォルシュとしても、快作、というぐらいは云っていい出来だと思う。
#備忘でその他の配役等について記述します。
・T牧場のボス、クレイボーンはリード・デ・ルーアン。S牧場のボス、ウィルキンスはゴードン・タナー。キャボットはSの牧童頭か。
・モアが殺されるのを待っている葬儀屋(床屋も兼業)はクランシー・クーパー。農民夫婦、チャールズ・アーウィンとタッカー・マクガイアのシーンも面白い。
・本作のマンスフィールドの顔は、痩せたエルフ荒川みたい、と思いながら見た。彼女の歌声はコニー・フランシスの吹き替えらしい。
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