[コメント] 劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー(2009/日)
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確かに本作の意気は高かった。そもそも「仮面ライダーディケイド」は平成ライダーシリーズ10周年作として企画されたもので、テレビ版は平成ライダーの総出演という豪華さ。
それで10年というのは決して短くはない。第一作「仮面ライダークウガ」の時に幼稚園だった子が高校生になってる時間なのだ。その重さを一つ一つの物語で(正確に言えば前後編の1時間弱)で一年分の物語を作り上げていた。
その中で士(ディケイド)は平成ライダーたちと出会い、共に戦うことで、一つ一つのライダー世界を救っていくものだったのだが、異世界に飛ばされた士は、訳も分からずその場その場で出会ったライダーを助けていく。と言う話が延々と続き、最後までその目的は明かされることはなかった。
強いて言うなら、士の目的は自分が本来いるべき世界を捜し求め、次元を旅し続けていた訳だ。
ところが劇場版である本作では、あっけなく本来彼のいた世界に来てしまい、更に自分が何故旅に出たのかが明らかにされてしまう。
しかもここで明かされる彼の目的は、ライダーを救うことではなく、実は全く逆で、自分の世界以外をすべて滅ぼすために、道を造っていたと言うことが明らかにされた。記憶を失い、一つ一つの世界を救いながら、実は無意識に一歩一歩世界の破滅に向かっていたのだ。
いわばテレビ版の全否定である。そんなものを作ろうというのだから、相当に意識は高かったはず。
…そのはずなのだが、出来たものは、単なるお祭り作品に仕上がってしまった。元々の設定がハードな分、そのギャップに頭を痛めるような出来。
いや、お祭り作品ならそれはそれで呑める。もっと話を単純にして、かつての東映まんが祭り的な意識で明るく仕上げてくれれば。一方、ハードに作りたいなら、それこそいくらでも暗くしてもかまわない。ただそのすり合わせがぜんぜん出来ておらずちぐはぐな作品になってしまったのが問題だ。
テレビシリーズにおいて士は自分が何のために戦っているのか、何故行く先々にライダーが待っているのか、そんなことは全く知らず、自分の役割も分かってないので、行った折々の世界でとりあえずピンチに陥っているライダー達を助け、それぞれのライダーと友達になっていた。だが、それは全て過去の自分自身が仕組んだことであり、ライダー世界を一つに統合し、そこに自分自身が君臨すること。正義の味方であるはずのディケイドが実は本当に悪の使い、否本物の悪魔であった。という展開は、まあ良いとして、それでやってるのが全世界のライダーを集めてのバトルロイヤル。何でそうなる?しかもやってること自体がハードさとは全く無縁の単なるプロレス状態。更にその後裏切りに遭って正義に目覚める…正義ってそんなに軽いものなのか?そしてラストは倒したはずのライダー全員と共闘…もはや呆れてものが言えん。
大体尺が短いのに話を詰めすぎだし、根本的にテレビシリーズを通して問いかけられていた”何故戦うのか”が、単なる私怨にまでグレードが下がったとあっては、点数も辛くならざるを得ない。少なくともテレビで楽しかった部分を見事にぶちこわしてくれた。ここまでやったら、逆の意味でたいしたものだ。
まあ、それでも歴代ライダー同士のバトルロイヤルは、子供の夢としては最上のものなので、嬉しかったのは確か。少々オタクな話をさせていただくと、歴代の全ライダーの中で最も強いのはBLACK RXであろうと思っているのだが(正確に言えばRXが二段変身したバイオライダー。これは身体を流体化させることであらゆる攻撃をすり抜け、たとえ爆発四散しても身体を再構成できると言う、化け物のような裏技を使える)、それを倒せるのは時をコントロールできるカブトと555のどちらかだけだろう?と思っていたものだが、ディケイドはちゃっかりこの二形態に変身することでRXに勝利したところだろうか。そこだけは「よく分かってらっしゃる」と思えた部分。
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