[コメント] 戦場でワルツを(2008/イスラエル=独=仏=米=フィンランド=スイス=ベルギー=豪)
実写的フォルムを持ちながら、陰影豊かで幻想的なアニメーションの美しさに魅了されるのだが、いまさら「虐殺は非道だ!」でもあるまいし、元イスラエル兵士としてのアリ・フォルマンは、自分の過去にどう落としまえをつけよとしているのかがさっぱり分らない。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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よくよく考えてみると、なぜアニメーションなのかが分らない。言い方を代えればアニメーションを採用したことにより、この映画は重大な何かを隠蔽してしまっているように感じてならない。
まず人工的なアニメ映像は戦争の生々さを消し、82年のレバノン戦争という事実を客体化し血の臭いを脱臭する。さらに映画の終末に用意された記録映像との視覚落差により、観客の意識を引き戻し生身の暴力の痛みを覚醒させる。終末の落差は観客のために準備された仕掛けだが、そこへと至る「血の臭いの脱臭」は観客のためだけでなく、アリ・フォルマン監督の本心を隠蔽するという役割も担っているように見える。
アリ・フォルマンが本当に伝えるべきことは「サブラ・シャティーラの虐殺」という残虐な事実に、記憶の欠落という逃避をもって対処せざるを得ない人間(監督をはじめ登場人物)たちのズルさやひ弱さだったのではないだろうか。そこに焦点をあててこそ、人間の集団暴力行為としての戦闘や虐殺の恐怖が浮き彫りにされるのだ。アニメーションは、その手段としてこそ有効であり、そう用いられるべきだった。
意図的にか無意識にかは分らぬが、アリ・フォルマンは安全地帯から「虐殺は非道だ!」と巧みに、しかし小さな声で叫んではみたものの、肝心のその先へ踏み込むことをためらっているように見える。
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