[コメント] 大曽根家の朝(1946/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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最近杉村春子の伝記(中丸美絵「杉村春子 女優として、女として」文芸春秋)を読んで、昭和初年の演劇人がいかにリベラルだったかを知った。社会党は軍国化賛成、共産党は地下潜伏しか能がなく、政治は余りにも貧困だったが社会にリベラルは大勢いたのだ。そもそも杉村の築地小劇場での初舞台は『何が彼女をさうさせたか』(検閲により「彼女」と改題)。初婚の相手は左翼、戦時中の恋人(妻子あり)である劇作家の森本薫は日本文学報国会の幹事もしているのにリベラルで、手紙で軍部の仕事を下らないとこき下ろしている。情報局に陳情し、検閲でズタズタにされたホンを上演し、劇場は焼かれ、文学座解散(映画の東野英治郎の科白が思い出される)。
だから本作は掌返しではないし、プロパガンダでもない。一家に右も左も寄せ集める無理矢理さで、純粋に本音が語られている。嫌な戦争とは演劇界の共通認識だった。本作の杉村のように、みんなアクセクやってきたのだ。映画で三男の大坂志郎だけが志願するのはリアルであり、吉本隆明はじめ、戦後騙されたと心底感じたのはあの世代だ。それより上の世代は騙されていると知りながらアクセクやっていた(ただし、戦争協力は微妙な問題だろう。杉村も『荒鷲の母』という翼賛映画に出ていて、戦後パージに合わないかとパニックになったとか。本作の東野はここでも理想とされている)。
出生地の広島をやられ、東京大空襲を逃げ回り、森本を過労からの結核で失った杉村の、終戦の回想はこんな具合。戦争って運命みたいなものだと感じていたけど、偉い人が終わりと云ったら終わっちゃった。そんなんなら、何でもっと早く終わらせなかったのよ。腹立つ。
この感想は素晴らしいと思う。この映画もこの演劇界で共有された思いが見事に反映されている。一億総懺悔といつ云われたのか知らないが、そんな馬鹿なことはないと軍部を指弾するのは爽快だっただろう。この爽快さは今でも共有できる。物資の隠匿まで描き、怪演の小沢栄太郎にアイヒマンと同じ科白を云わせている。的確としか云いようがない。制作時は東京裁判前、陸軍も海軍も終焉していないのに注意すべきだ。本作は同時代の堂々たる証言。仮に戦後も演劇人・映画人が委縮して本作のような映画が撮られなかったとすれば、暗澹たるものだっただろう。抑制の効いた演技が流石、杉村の名実ともに代表作である。
同著によれば、GHQに撮らされたのは最後の思想犯保釈の件とのこと。演出にどこまでタッチされたのか不明だが、木下映画としてもあんまりなアホのようなラストは、そういうことでどうでも良かったのかも知れない(しかしこの時点では、いかな検閲だろうと軍部より上等なのは当然である)。いやいや、台風一過の快晴のような心境を恥ずかしさを押さえて判ると云うべきか。なお、小沢があんなに権力者ならに、大坂が志願したときに特攻隊を外すことは容易だったはずで、ここはホンの瑕疵だろう。
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