[コメント] 悪夢のエレベーター(2009/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
今や邦画も演出力が上がり、CGや技術の向上によって、ハリウッドに負けないアクション大作も作られるようになってきた。
それはそれでありがたいことなのだが、私が思うには、あまりの大作は肩が張るし、どうにも日本人の身の丈に合ってないように感じてしまうこともある(お祭り作品として年に1本くらいあればそれで充分とも思うし)。
そういう意味で、低予算でもしっかり作り込まれた作品が時折出てくると妙に嬉しい。こう言う作品って、とても好みだ。
改めて、本作を観ると、エンターテインメントというのは、突き詰めればアイディアと編集にあることを再認識させられる。たとえ元がテレビサイズの物語であっても、しっかり映画にすることが出来るのだ。
ところでテレビサイズの物語を映画として成立させているのはどこにあるだろうか?と考えてみよう。
作品によっても、あるいは観方によってもいくつも出てくるだろうが、特に本作の場合は、「情報量」と言えるだろう。
本作が内包する情報量は半端ない。物語形式も二重性(あるいは三重性)を持つだけに、画面の一つ一つ、言葉の端々に物語の真相につながる事実が詰まっていて、しっかり目を凝らしていないと、散りばめられた伏線に気づかないまま終わってしまう。虚々実々の会話についても、嘘の中にも多くの真実が隠されていて、最後にそれらの散りばめられた伏線がパチンパチンとピースがはまっていく快感もある。
更に本筋から離れていてる部分でさえ手を抜かず、様々な考察がなされていることが分かる。オープニングとラストの消化試合の話は、一見余計にも思えるが、あれがあるからラストの余韻が増している。
これらの多量の情報量に押しつぶされることなく、情報をきちんと処理しているという点こそが本作が映画として機能している最大の点だろう。
もちろん同じ物語をテレビで作ることは可能だろうが、テレビでは間にCMが入ることを前提に制作するため、これほど緊張感を持続させられないし、時間や金額の問題でここまで嫌味的な編集もできない。結果として緊張感の演出も難しい。最初から映画として作られているからこそできる大胆な構図となっているのだ。
それになんだかんだ言って、登場人物の大部分が劇を通してしっかり自分に向き合い、真剣に人生について考えているのも心憎い部分だ。最初の野球にたとえた人生についてもそうだが、自分の生き方を振り返って、それを告白することで、新たな歩みを始めようとする課程がしっかり語られてもいる。自分自身に決着を付けるべく、与えられた命題を正面からとらえようとしている姿勢が良い。
本作は堀部圭亮にとって初監督となる。多少情報量に押しつぶされたきらいはあるものの(少々演出上力みが入り、嫌みになってるところもあるし、設定上の甘さがいくつも見つかる)、初監督でここまでやれたら大したものだ。
今回の拾いものは佐津川愛美になるだろう。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2007)でも二重性を持つ妹キャラを上手く演じていたが、本作ではそれが更に増しており、ギャップのある二つの役を見事に一人で演じきって見せた。この手の作品にはうってつけのキャラに育ちつつあるな。
最初の話に戻るが、単純に金を遣えば良い映画ができるわけではない。ピンポイントで遣うべきところに金と手間を遣ってこそ映画は良くなるのだ。その基本を改めて知らされたような思いにさせてくれた。それだけで充分本作は楽しく感じる。
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