[コメント] 安城家の舞踏会(1947/日)
勿論、普通によく出来ていると感じるところもあるので、そっちから書きましょう。その第一は唐突な展開やシーン繋ぎの見せ方だ。まずは、ファーストカットが後ろ向きの原節子を振り返らせるというもので、この時点でまず一発殴られたような感覚になる。次に、原のお兄様−森雅之がピアノを弾いている最中に、女中の菊−空あけみが、鍵盤にお尻から乗っかる演出。これはトンデモ場面でもあると思うが、私は全編で一番書くべき演出だと思う。
他にも、原がヤケクソのように、お父様の瀧澤修に「こうなったら、最後の舞踏会をしましょう」みたいなことを云った次に、いきなりパーティ・シーンになる繋ぎ。あるいは、瀧澤の姉(春小路という名前)−岡村文子の登場ショットで独白する彼女からトラックバックする演出や、原が森に「曜子さん(津島恵子)と結婚なさるおつもり?」と云った後に、津島とその父親の清水将夫をツーショットで(こゝも後退移動で)見せる繋ぎ。
人物の登場を正面からでなく背部から見せるというのは、開巻の原節子だけでなく、舞踏会の終わり頃に、派手な着物姿の女性−村田知英子を登場させる演出でもあり、こゝも空気をガラッと変化させる良い効果を出していたと思う。尚、本作の中では、瀧澤の全き庇護者が、原と村田の2人なのだ。あと、これとよく似た演出で、正装した男性の脚がもったいぶって映されて、使用人の殿山泰司だった、という見せ方もある。また、よく指摘される「奥行き」に関して云うと、拳銃を手にした瀧澤を左手前に置き、中央奥に清水、さらにその後ろに原を配置したショットには瞠目したが、縦構図でハッとさせられたのは、こゝぐらいかと思う。
そして、いくら寛大な私でも擁護できないぐらい過剰に情緒的な演出だと感じられるのが(つまり、めっちゃクサいのが)、終盤の逢初夢子−原の姉と神田隆−森が闇太りと云う元運転手−の描き方だ。また、この2人には及ばないにしても、空あけみと津島恵子の愁嘆場もヒドい。これらの場面で、これ見よがしなダッチアングルを使うセンスも大嫌いだ。ただ、そんな中で、津島が森の頬を5発もビンタするだとか、砂浜の斜面を逢初が転んでコロコロ(ゆっくり)回転する、といった可笑しみのある演出を繰り出すところがトンデモ映画だと思う所以なのだ。
最終盤では、舞踏会が終わった会場の電灯を一つ一つ原が消していくといったきめ細かな演出の後、最後の修羅場を迎えるが、こんな状況になっても原は「遊ばせ言葉」を連発する、というのも私は可笑しかった。いろいろと難点も書いたが、全編、原が仕切って彼女の見せ場たっぷりの映画であり、27歳頃の彼女の美貌、その「まばゆさ」だけを目当てに見ても、元の取れる作品と云えるだろう。さらに、森雅之の虚勢を張ったデカダンの造型も一見の価値ありと思う。
#備忘でその他の配役などを記述します。
・原の叔父さん(瀧澤の弟)で日守新一。使用人には殿山の他に婆やで高松栄子。
・舞踏会の客の中に、奈良真養、西村青兒がいる。一瞬しか映らない。同じく、文谷千代子、水上令子、谷よしのも出ているはずだが判別できなかった。
・森の部屋のベッドの上にゴヤの「裸のマハ」(原寸大?)が飾ってある。
・逢初夢子はまだ31歳頃。津島恵子は21歳頃でこれが映画デビュー。瀧澤修は40歳頃。役柄は60歳近い設定と思う(科白から)。殿山泰司は31歳頃。役柄は瀧澤よりも上の設定の老け役。
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