[コメント] カティンの森(2007/ポーランド)
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本作、物語話法は出来が悪い。妻子が捕虜とはいえ出兵中の旦那の処に押しかけたり、青年が翌日のデートを約束した途端に殺されたりと、力んでいてベタ、パセティックに過ぎる。ただ、その力みは余りにも主観的で人間臭い。
夫妻に絞られた話なのかと思いきや、後半に進むにつれて登場人物が枝分かれを繰り返して群像劇になる。それなら奥さんがソ連兵に云い寄られる等の無駄な挿話は省いて、最初からそれぞれの人物を肉付けするべきだろう。原作ありきの制限だったのか。
しかし、そのなかでカディンの悲劇が断片で少しづつ語られて収束の迫真描写に至る、という組み立ては繊細なものだ。この主題が浮上して以降、物語は圧倒的になる。
舞台劇の上演予告なのだろう、ソポクレス「アンティゴネ」のポスターの前を横切ると、マグダレナ・チェレツカは憑かれたように喪の作業に突き進み、兄の墓碑銘にソ連に殺されたと記すに至る。彼女は国家反逆罪に問われた兄を正しく埋葬しようとして自死に至るアンティゴネなのだ。
アンティゴネ同様、チェレツカにとって正しく喪に付すことは何よりも優先された。圧政下なんだから隠れキリシタンみたく表面的には誤魔化していたらいいじゃないか、という態度は、彼女は思いもよらないのだ。校長に反論しポスター引っぺがすアントニ・パヴリツキも自責から自殺するアンジェイ・ヒラも同じ認識にいる。この峻厳な倫理観は日本人の処世から遥かに遠い。圧倒される。
何も映らない真っ暗な画面を数十秒観客に見せつけるラストは、この峻厳さに相応しい。居住まいを正させられた。この驚嘆のラスト、比べられるのはプドフキンの『母』ぐらいではないだろうか。いずれも女性の悲劇だが、ソビエト連邦の片や栄光、片や悲惨を描いて何と両極端であることか。
ナチとソ連の関係は余りにも複雑。近年もウクライナ騒乱で尾を引いている(反露政府は親ナチだった)。我々は冷戦は終わったなどと軽々に語るべきではないのだろう。ワイダの父親もこのカディン事件の犠牲者である。
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