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[コメント] 捜索者(1956/米)

観終えた瞬間には否定的な思いだけしかなかったのですが、改めてレビューしてみると…やっぱり書いてみるものですね。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 西部劇は数あれど、やはりその中心となったのはフォード監督で、サイレント時代から数多くの西部劇を撮り続けてきた。しかし、西部劇も徐々に様変わりしていき、フォード自身もこれまで自分自身が作ってきた西部劇に対するアンチテーゼを持つようになってくるようになった。そんな中で制作されたのが本作。内容は暗かったが、丁度朝鮮戦争下と言うこともあって、その複雑さが受けたか1956年全米興行成績10位という好成績を残している。

 だが、初見でこれを拝見した時、私には否定的な思いしか出てこなかった。何でこんな差別的な人間を主人公にするのだ?とか、こんな破滅的な性格をしていていったいこいつは何をやりたかったのか?更にほとんど無意味に人が死んでいく。はっきり言って腹が立った作品だった。

 …しかし、時が流れ、ようやく今ではこの作品を適正に評価できるようになった気がする。

 これまで西部劇では基本的にやってなかったことを、ここでは敢えて二つ突っ込んで描いているのが本作の大きな特徴。

 一つはネイティヴ・アメリカンに対する描写。ストレートな描写だと、開拓者に対する敵としてだけ描かれていた彼ら。今で言えば非人間型エイリアンのような扱いを受けてきた(と言うか、それこそ西部劇が元なんだろうけど)彼らを、きちんと人間として描いている。開拓者と政府によって追われ、居住区も転々と変えざるを得ない彼らは当然怒っている。その怒りが力弱い開拓者に向かっていくという描写に変わっていく。つまり開拓者を襲う彼らにも彼らなりの理由があるのだ。

 そして主人公の描写もずいぶん様変わりしている。西部劇の定番として流れ者が町の困った人を助けるというパターンが良く取られ、本作も基本的にはそれを踏襲しているのだが、主人公は決して善人ではない。かといってアウトローかと言われれば、それも違う。ここで出てくるウェイン演じるイーサンは、見ていて極めて痛々しいのだ。彼は自分のルールに則り、徹底した差別主義者として描かれるのだが、その怒りややるせない思いはどこに向かっているのか?それは結局自分自身だったんじゃ無かろうか?

 これを最初に観た時は、あまりの身勝手にどうしても共感を覚えられなかったのだが、そう考えてみると、彼の行動も納得できるのだ。自分勝手な思いで、弟に家を押しつけて戦争に出かけ、そしてその戦争が意味のないものだったことを知ってしまった。自分はいったいこれだけの時間を使って何を得てきたのか。結局その怒りは自分自身に向けられていたのではないだろうか。しかし自分自身を罰することも出来ないがために、その怒りは周りに放射される。自分を罰するために人を傷つけていく。そうしてしか生きていけない人間だって世の中にはいるのだ。生きていて何のおもしろみもない。一日一日が自分自身にのしかかっていく重みへと変わっていくだけ。彼にとって日常は耐え難いものだろう。だから戦争が終わっても3年もの間家に帰ろうとしなかったのだろうし、家に帰っても居心地が悪いばかり。

 彼にとって必要なのは、何でも良いから自分を縛る義務だった。そう考えるのなら、彼の行動原理は“家族を助ける”である必要はない。たとえそれが“家族を殺す”ことであっても、行動原理にはなり得るのだ。やってることが辛いものであるほど、自分を罰する為には適切なのだから。

 ここでのウェインは本物のダーク・ヒーローであるが、そのダークさは誰の心の中にもあるものだ。何かの拍子にそう言うものがわき出てしまう時というのも、私だってある。

 つまり、本作の二つ目の特徴というのは、これまで描かれることの無かったキャラクタの内面描写を、丁寧に描いている。と言うことになるだろう。人間の心は優しさや良心で詰まっているわけでない。むしろこういう衝動も心の中にはあるのだ。

 こういう可能性も西部劇にはあるのだ!というフォードの主張が見えてくる。

(評価:★3)

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