[コメント] 誰かが私にキスをした(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
映画としてこの作品を述べ始めると、他愛もない学園生活の叙述が続き、日本離れしているところなんか、どうもしっくりしないという人もいるかもしれませんが、僕は結構ブログ映画として見ることにすると、それなりに映画自体可愛くもあり、結構楽しんでる自分を発見しました。
要は、頭を打ってから自分というものを大切にし始めた女の子の話だ。
まず、セックスフレンドだったアントン・イェルチンから離れます。精神性を大事にしたいと考え始めている。だからキスが意味あるものとなってくる。キスはこの映画の場合、肉体的な行為ではない。だれかとの媒体、そのための伝達手段である。
だから、救急車で「キスしたいと思っていたんだ。」と言われた見かけはカッコイイ松山ケンイチと付き合い始める。彼女、気持ちは処女になっているから、精神性ラブに酔い始める。だから、心因性疾病を抱える彼こそ純粋ラブだと思い始める。
ここまではいい。でも、急にロスに言ってから(展開が速いというか)おかしくなり始める。彼女は彼と夜を過ごしたかったが(このときにセックスの気持ちが出てくる。ファンとしてはヒヤリ)、不眠だという彼のわけのわからなさと本当に大変そうだという疾病に気づき日本にとんぼ返りする。そして、本当に好きだったのはやはり長年トモダチだった手越祐也だったと気付く。
そして彼に新しい彼女がいるにも拘わらず平気で彼を呼びだしたりする。これは恋をしている女の子の普通の行動です、よね? そして彼が便利ということも相まって、友人としても都合のいい彼とまた仲を戻していく。それだけの話だが、親の再婚話をデザートにこの映画は現代の学園生活とそれに付きまとうラブを味付けして行く。
何も残らない映画ではあるけれど、日本の学園生活とは少し違うアメリカン的学園生活も結構楽しく、こんな映画もたまにはいいのではないか、と思ってしまった。現代小説というより、現代ブログ小説というべき映画なのだ。その生活を真正面から見たのではなく、ちょっと斜めから切り取った映画なのだろう。悪くはない、と思う。
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